2014年 10月 14日
英国日記(8/10) Brighton
はじめてブライトンを訪れたのは1979年の春だった。きっかけは銀座にあった洋書専門店イエナでみつけたイギリス人写真家トニー・レイ=ジョーンズの『a day off』という写真集だった。海辺の保養地を撮ったモノクロームの写真集には、黒い雲がたれこめた寒々としたイギリスの夏が写しこまれていた。この写真集の中に表紙を含めいくつかのブライトンの写真が収められていて、いつの日かそれらの写真に言いようもなく魅かれはじめていた。
1979年、はじめてのパリ撮影旅行のあとに、カレーからフェリーに乗って英仏海峡を渡った。当時、ぼくの知る限りではブライトンを撮影している日本人写真家は見当たらず、帰国して『グラフィケーション』誌に発表したブライトンは各方面から多くの反響があった。
それから現在にいたるまで、何十回となくブライトンに旅をした。
レイ・ブラッド・ベリのファンタジー小説にでてきそうなパレス・ピアはブライトン・ピアと名前が変わり、当時から廃墟だったウエスト・ピアは台風や放火事件を経て、現在は骨組みだけが辛うじて残っている。そして常宿にしているホテルの目の前には、やたらにモダンな観覧車が聳え立った。
そんなふうに少しずつ変わりつつあるブライトンだが、ぼくの中では若い日の想い出の地としていつまでも変わらず心の中に刻まれている。
1979年、はじめてのパリ撮影旅行のあとに、カレーからフェリーに乗って英仏海峡を渡った。当時、ぼくの知る限りではブライトンを撮影している日本人写真家は見当たらず、帰国して『グラフィケーション』誌に発表したブライトンは各方面から多くの反響があった。
それから現在にいたるまで、何十回となくブライトンに旅をした。
レイ・ブラッド・ベリのファンタジー小説にでてきそうなパレス・ピアはブライトン・ピアと名前が変わり、当時から廃墟だったウエスト・ピアは台風や放火事件を経て、現在は骨組みだけが辛うじて残っている。そして常宿にしているホテルの目の前には、やたらにモダンな観覧車が聳え立った。
そんなふうに少しずつ変わりつつあるブライトンだが、ぼくの中では若い日の想い出の地としていつまでも変わらず心の中に刻まれている。
by tatsuokotaki
| 2014-10-14 23:31
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