2024年 08月 27日
アニエス・ベーのスニーカー
2024年 08月 14日
北海道の旅
2024年 02月 05日
ムラーノ(ヴェネツィアン)ガラスのデキャンタ
2023年 12月 13日
ポルトガル
ポルトガルの撮影旅行から戻ってきた。
雨の多い季節と聞いていたのに旅行中はずっと晴天続き。帰国前日の夜にはじめてまとまった雨が降った。
新型コロナの影響で3年間海外取材ができずに、体力的にやや不安もあったのだが何ごともなく予定通りスケジュールをこなすことができた。
撮影で街を歩くとき、ぼくはいつも牛のようなペースでゆっくりと歩く。そうすることでふだん見過ごしている新たな発見があったりする。そのせいかリスボン名物の急な坂道も思っていたほど苦にならずに済んだ。
今回の撮影旅行のキーワードはリスボンがフェルナンド・ペソア(ポルトガルの詩人)、サンタ・クルスは檀一雄(晩年、リスボンから40キロほど北上した漁村サンタ・クルスに住んで『火宅の人』を書いた)と決めていた。といっても別に二人の足跡を辿るとかそんなことではなく、両名へのオマージュを旅の道連れにとでもいったところである。
リスボンは今回で二度目だが、40年前は仕事がらみで数日滞在しただけなので、実質的には初めてのリスボンと言っても過言ではない。よく見聞きするリスボンのイメージは青い空とトラム、ジャカランダの並木道といった、いかにも観光地然としたものが多い。
だがそれはぼくが思い描くリスボンのイメージとはちょっとかけ離れている。そんなわけで過去に何度かリスボンの撮影を計画したのだが、逡巡しつついつも途中で計画が頓挫していた。
今回の旅は観光客が少ない冬を選んだこともあってか、危惧していたものを払拭するように自分の思い描いていた理想のリスボンがそこにあった。
パリの石畳が年々消えつつある中、リスボンの旧市街の道路はほぼ100%石畳で覆われている。歩きにくいことはなはだしく、おそらく高齢者は歩行に困難をきたすだろう。当然車の乗り心地もとてつもなく悪い。イタリアのヴェネツィアがそうであるように、ここ(リスボンの旧市街)で生活するのはかなりの忍耐が必要だ。
ただヴェネツィア同様に、よそ者として歴史を刻んだ古い街並みを歩くのは日本で体験できないワクワクした浮遊感を味わうことができる。利便性や経済効果を優先する日本で育ったぼくには、ヨーロッパのこうした古い街並保存を好ましくは思うが、日本の状況を鑑みるとなぜこんなことが可能なのか答えは謎である。
パリやヴェネツィアと違ってリスボンは不案内な点が多く、道を尋ねることを含め今回の旅は人と接する機会がいつもより多かった気がする。ポルトガル人は物静かでシャイな面があって、お隣のスペイン人に比べると対照的なものがある。ポルトガルの民謡ファドの中には、時おり日本の曲かと思わせる旋律もあって、ポルトガルと日本はどこか根底でつながっているような気もする。
雨で締めくくったポルトガルの旅だったが、これから70本ほど撮影したフィルムの現像とプリント作業を通して、2度目のポルトガルの旅が始まる。
夜露に濡れて光輝くリスボンの石畳。それはぼくにとっては夜空の星より美しいものに思えた。
2023年 10月 20日
神田のコーヒー屋さん
Facebookを見ていたら、雑誌『季刊-銀花』(1978年文化出版局刊)の「神田のコーヒー屋さん」という記事を投稿している人がいて、
見たような写真だと思ったらぼくが撮影した写真だった。
今となっては懐かしい昭和の喫茶店、記事中に登場する3店舗は改装あるいは移転していまも営業しているが、他は消滅してしまった。
この企画はたしかぼくが発案して、『銀花』(文化出版局)の女性編集者と二人で取材したもので、店のセレクトはすべてぼくがやった。
45年前、ぼくは20代後半の駆け出しカメラマン、振り返るとの夢のような記憶だ。