小瀧達郎気紛れ日記


by tatsuokotaki

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ボブ・ディラン『ノー・ディレクション・ホーム』 2005年12月4日(月)

マーティン・スコセッシ監督がテレビ用に製作した、ボブ・ディランのドキュメンタリー・フィルム『ノー・ディレクション・ホーム』を観た。スコセッシ監督にはザ・バンドの『ラスト・ワルツ』という優れた作品があるが、これに劣らぬ見ごたえのある作品に仕上がっている。いままで語られていなかった真実や、未発表映像などが多数収録された3時間を超える大作だ。
ケネディが暗殺された直後のダラス公演で、怖気付いたバック・ミュージシャンに変わって、“ザ・バンド”の母体となる面々(ドラムスのレヴォン・ヘルムを除く)が、ディランのバックを務めたという事実も新たな発見だった。ディランは本編の中で「勇敢な騎士に守られているようで心強かった」と述べている。
舞台に登場したディランに「裏切り者のユダ!」と強烈な野次を飛ばす観客に対し、「お前は嘘つきだ」とやり返すシーンがある。当時フォーク・ソングはアコースティック・ギターで演奏されるのが常で、そこにエレキ・ギターを持ち込んだディランは神聖なるフォーク・ソングを汚す裏切り者というレッテルを貼られていた。
ジョン・レノンもそうだったが、狂信的なファンによってディランも当時教祖的存在に祀り上げられ、愛憎入り混じったファン心理が本編でも描かれている。ディラン自身は「ブーイングも悪くない、賛辞が人をダメにすることもあるからね」といたってクールで、そんな状況を楽しんでいた様子さえある。「自分がいつも達成の途上にあると思っているうちは大丈夫だ」というディランの発言は、デビュー当時から一貫して変わらないディランの-尖がった-生き方の信条のようにも聞こえる。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞が本当は50番まであるというのも驚きだったが、あの次々と紡ぎだされる膨大な言葉は、一体何処からやって来るのだろう。詩人としてのディランには敬意を表するが、あれだけの歌詞を記憶しているだけでもスゴイ。
ぼくはディランの大ファンというわけではないが、同時代で聴き続けているミュージシャンの一人で、常に気になる存在だ。
# by tatsuokotaki | 2005-12-04 18:16

魂の宿る場所             2005年11月7日(月)

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音楽雑誌を読んでいたらニール・ヤングのインタビュー記事があって、「ギターに魂は宿るのか?」との問いに、二ールが面白いことをいっていた。
“ギターで演奏されたあらゆる音が、その中に留まるんだよ。それがギターと共鳴するだけでなく、木材の中にも残るんだ。ギターが経験したこと全てが、ギターを構成する要素となるのさ。 『Player』2005,12月号より 
魂はあらゆる事象への強い“思い入れ”の上に宿る。ぼくはそう信じている。

MARTIN D-45 '68
# by tatsuokotaki | 2005-11-07 16:48

“ダーティー・ハリー”キャラハン  2005年11月2日(水)

神経が磨耗しそうにハードな一日だった。
人生には好むと好まざるとに係らず、戦わねばならない時がある。
夜、本郷の“ファイアー・ハウス”のアボガド・バーガーとサラダをデリバリーしてもらい、BS-2の『ダーティー・ハリー』を観ながら食べた。
疲れすぎて半分しか咽喉を通らなかった。ダーティー・ハリーの苗字が*キャラハンというのをはじめて知った。

ハリー・キャラハン 1912-1999 アメリカの著名な写真家。ドイツ人モホリ=ナギがバウハウスを継承してシカゴに開校した“シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン”で写真の教授を務めた。日本では石元泰博氏がキャラハンの元で学んでいる。
# by tatsuokotaki | 2005-11-02 00:18

クロード・ルルーシュと『男と女』   2000年10月9日(日)

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ぼくはクロード・ルルーシュの映画『男と女』の大ファンだ。そして、ぼくが撮る写真は、この映画の影響を少なからず受けている…と思っている。
最初にこの映画を観たのは、ぼくが大学にかよっていた頃のこと。授業をサボって同級生のガール・フレンドと、当時銀座にあった名画座にでかけた。
映画館を出た後、「甘ったるい恋愛映画だー!」と不満顔のぼくを、彼女は大人びた口調で「まあ、男と女はあんなもんなんじゃないの」と軽くかわしてみせた。
それからどれくらいの月日が流れただろう。ぼくは『男と女』が名画座に廻ってくる度に、くり返し観るようになった。
1966年製作の『男と女』は、パリとドーヴィルを舞台に、中年男女の恋愛を軽妙に描いた作品だ。ぼくがこの映画に魅かれていった理由のひとつは、その映像の美しさにある。
それとルルーシュが描くところの“大人の恋愛”が、少しは理解できるようになったせいかもしれない。
当時、くり返し観るたびに「ルルーシュはなんて洒落た映画を撮るんだろう」と、感動しまくっていた。ピエール・バルーの存在を知ったのもこの映画だった。
何年も後に、仕事で南仏のジプシーの祭りを取材に行った際、偶然にもジプシーを主人公にした映画『La bell histoire』(美しき物語)ー日本未公開ーを撮影中のルルーシュに出会ったことがある。彼の撮る映画のイメージと違って、ルルーシュはどこにでもいそうな普通のオジサンといった風情で、ちょっと拍子抜けした覚えがある。
DVDになった『男と女』を、いまでも時々観るけれど、この映画の最大の魅力は、フランスとフランス人の持つ最良のエスプリが凝縮されている点だろう。
今日、雨の夜道を歩きながら、ふと思い出した。 あの日、映画館を出て歩くぼく達の肩にも、優しい秋の雨が降りそそいでいた。
彼女はどうしているだろう…。

写真はDeauville   
# by tatsuokotaki | 2005-10-09 02:13

巨大煙突と『オペラ座の怪人』    2005年9月21日(水)

朝一番でタクシーを捕まえて、チェルシー・ブリッジの先にあるバタシー火力発電所跡を撮影に行く。ブライトンに行く時、列車から見える4本の巨大な煙突がそれだ。
ピンク・フロイドのアルバム『アニマルズ』のジャケットに使用されて一躍有名になったこの発電所、1981年にはその使命を終え、煙突を残したままテーマ・パークに生まれ変わる予定だった。ところが工事が始まって数年後、理由は解らないが頓挫してしまって、今日に至っている。
煙突好きなぼくは発電所が操業中の頃から、ロンドンに行く度この煙突を撮り続けてきた。(当サイトのgalleryの“ヨーロッパ”参照) 巨大なレンガ造りの建築もとても美しく、産業考古学的見地からも貴重な遺産といえるだろう。
今回行ってみたら、ずっと空地だった隣地に、住宅とショッピング・モールを兼ねた大きな建物が完成していた。テームズ川沿いには新しい道路も整備されたので、以前より発電所の近くまで行くことができた。中には入れなかったが、工事用の仮設小屋と駐車場があったので、今度こそ工事の進展があるのかもしれない。
ひとまわりしたが、撮影の為の良いアングルは見つからず。
ケンジントン・パレスのティー・ルーム“オランジェリー”で軽い昼食の後、午後はテート・モダンの『フリーダ・カーロ展』に行った。ここも以前発電所だった建物を改築して美術館にしたもので、テート・ギャラリーの20世紀の作品を分離して収蔵、展示している。
『フリーダ・カーロ展』は、テーマ毎に11の部屋に分けて構成されていたが、ROOM-11のセルフ・ポートレイトが圧巻だった。
あの眉毛、オアシスのノエル・ギャラガーも真っ青というくらい強烈なものがある。フリーダの写真集があったので買ってみたら、眉毛だけでなく髭まで立派に生えているではないか。実際の眉も凄いが、自画像でことさらそれを強調してあるのは何故なのだろうか。
テート・モダンには他に、A・ウォーホール、ピカソ、モネ、キリコ、ギルバート&ジョージ、ムンク、ココシュカなどの展示があって、こちらもとても面白かった。
夕方、一度ホテルに戻って着替えてから、夜はハー・マジェスティーズ劇場で『オペラ座の怪人』を観た。'96年に観た時と演出や美術が変わっていたようだが、このミュージカル、とにかく良く出来ていて最後まで観客を退屈させない。舞台から2列目中央の良い席だったが、首が痛いのと舞台全体が見渡せなかったのを除けば、とても楽しい一夜だった。
# by tatsuokotaki | 2005-09-21 02:01

『さらば青春の光』-Quadrophenia- 2005年9月20日(火)

―昨日からの続きです。9/19の日記を先に読んでください ―
ブライトンといえば“ザ・フー”のアルバム『四重人格』を思い出す方もいるかもしれない。このアルバムをベースにした映画『Quadrophenia』、邦題『さらば青春の光』(監督フランク・ロッダム、総指揮ピート・タウンゼンド)が製作されたのも1979年のことだ。
映画は60年代に海辺の行楽地を中心に暴れ廻った、モッズとロッカーズの抗争(1964年のバンク・ホリディにはブライトンで死者が出た)を描いたもの。映画公開の翌年にはモッズ・ブームが再燃して、週末のブライトンに200台ほどのスクーター(イタリア製べスパを改造したもの)を連ねてやって来たモッズを目撃したこともある。
当サイトのギャラリー『North marine drive』の多くは、当時のブライトンで撮影されたものだ。『さらば青春の光』には、デビュー間もないロック・バンド“ポリス”のスティングもモッズのエース役で出演していた。
映画にも登場したが、ブライトンにはふたつのピア(桟橋)がある。ひとつは“パレス・ピア”(ジョージⅣ世が贅の限りを尽してブライトンに建てたロイヤル・パビリオンを模したもの)と、それより古いウエスト・ピアだ。
パレス・ピアは近年改装されブライトン・ピアと改名されたが、ぼくは以前の少しさびれた感じの雰囲気が好きだった。
パレス・ピアにはもうひとつのイメージがある。レイ・ブラッドべりの短編集『十月はたそがれの国』(舞台はアメリカだが)が描く世界が、まさにブライトンのパレス・ピアとオーバー・ラップする。夕暮れ時のパレス・ピアには、テントの陰に“全身刺青男”や“見世物小屋の小人”が潜んでいそうな、そんな怪しげでファンタスティックなムードが満ちている。そんなパレス・ピアは、ぼくの意識の彼方から、デジャ=ヴュにも似た懐かしく、遠い記憶を呼び起こさせてくれる。 
一方ウエスト・ピアは、長年廃墟となったまま放置されていたが、再建の話が持ち上がって、2000年には資金集めのための一人10ポンドの「廃墟廻りツアー」も始まった。
配られた黄色いヘルメットを被ってぼくも参加したが、建物の内部は鳩の糞がうず高く積もり、しばらくいると吐き気を催すようなひどい状態だった。
その後のウエスト・ピアは、2002年12月に橋脚の一部が折れて半倒壊の危機に瀕し、それに追い討ちをかけるような2003年3月の火災であえなく全焼した。
現在、ウエスト・ピアは幽霊船のように海中に漂う、ただの鉄クズと化してしまった。因みに再建計画は、いまも存続しているとの事だ。
# by tatsuokotaki | 2005-09-20 23:55

ブライトン              2005年9月19日(月)

ロンドン、ヴィクトリア駅9時38分発、ブライトン行き。チケット売り場で次の列車の時刻をたずねたら、モニターを振り返った黒人のおばちゃんが「16番ホームあと1分だ、急げー!」というので走って間一髪、列車に飛び乗った。おかげで朝食を買い損ねた。
テムズ川の鉄橋を渡り、バタシー発電所の巨大煙突を左に見て、あっという間の1時間。列車はブライトンに到着。
駅前の通りに面したカフェで、スクランブルド・エッグをトーストにのせたやつとミルク・ティーで朝食。ロンドンは曇っていたが、ブライトンはよく晴れている。
海に向かって坂を下りながら、さっそく撮影を始める。今日は“モノ”がよく見えている。調子がいいぞー。
やがて通りの前方に、キラキラと輝く海が見えてくる。この瞬間はいつも「ブライトンだー!」と大声で叫びたくなる。海が見えた瞬間のワクワク感は何度来ても変わることがない。
ぼくが始めてブライトンを訪れたのは1979年の春の事。若くして白血病で亡くなった英国人写真家、トニー・レイ・ジョーンズの写真に触発されてのことだった。
やや粒子の粗いモノクロームで撮影された、ブライトンの暗い海辺で集う人々の写真は、なぜか当時のぼくを強烈に惹きつけた。
その日から26年の歳月が流れ、その間ぼくは何度もブライトンに足を運んだ。ブライトンは世紀末の画家ビアズリーが生まれ育った街でもあり、グレアム・グリーンは小説『ブライトン・ロック』(ブライトン・ロックはブライトン名物の金太郎飴のこと)を書いた。レイモンド・ブリッグスの『スノーマン』にも、スノーマンが男の子と空を飛翔するシーンにブライトンのパレス・ピアが登場する。           
       ―この続きは明日―
# by tatsuokotaki | 2005-09-19 10:50

サイオン・パークへ鱒釣りに     2005年9月18日(日)

今回の旅は田舎に行って釣りをする予定がないので、せめてもの慰めにロンドンから地下鉄で行けるサイオン・パーク・フィッシャリーへ出かけた。カメラとは別に、スーツ・ケースの中にパック・ロッド(4本継ぎの釣竿)とリールはちゃんと用意してきている。
ロンドン市内からディストリクト・ラインに乗って約20分、終点のリッチモンドでおりてタクシーで10分ほどで釣り場に着く。位置的にはテムズ川を挟んで、キュウ・ガーデンのほぼ対岸になる。
キュウ・ガーデンには及ばないが、こちらにも第三代ノーサンバーランド公爵によって造られた優雅なコンサバトリー(温室)と庭園があって、屋敷の方は映画のロケなどによく使われている。以前温室の撮影に行った際、たまたま出くわした映画撮影隊が水やクッキーなどをたくさん分けてくれたことがあった。
さて釣り場の方はというと、敷地の外周に沿って横長に造られた止水の池で、すでに5~6人の釣り人がフライをキャストしていた。チケット売り場に人がいないので近くにいた釣り人に尋ねると「勝手に始めていればそのうち廻ってくるさ」とのこと。
この20年間、毎年夏はイギリスの田舎で釣りをしてきたが、去年は私的事情でそれが叶わなかった。人生いろいろあるが楽しかった想い出は心の中にしまっておくことにして、とりあえず今日を楽しく生きましょう…、ってなわけで持参したサンドウィッチの昼メシの後、午後4時まで釣りをした。
釣果はレインボウとブラウン・トラウトが各1匹ずつ。やはり自然の川や湖と違って、いまひとつ満足感がなく、日本の管理釣り場で釣っているみたいだった。
多少の空しさと失望感をかかえつつ、来年はまたイギリスのどこかの清流でフライを投げている自分を想像しながら、地下鉄に揺られてロンドンに戻ってきた。
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Mamiya6 MF 75mm RDPⅡ
# by tatsuokotaki | 2005-09-18 16:24

キュウ・ガーデンのデール・チフリー展  2005年9月16日(金)

9月10日から始まった英国ナショナル・トラストの取材が昨日無事終了した。取材中は雨が多く、英国ではめずらしく蒸し暑い日が続く不順な天候だった。スタッフの中に一人、自称“雨男”がいたせいかもしれない。
今朝、取材チームは日本に帰国したが、ぼくは一人残ってしばらくロンドンに滞在する予定だ。最初は車で旅をしようかとも思ったが、久しぶりにロンドンに腰をすえて写真を撮ることにした。
今日はキュウ・ガーデンで開催中のガラス作家、デール・チフリーの『Gardens of glass chihuly at kew』展に行ってきた。
昨年夏、取材で訪れたアトランタのボタニカル・ガーデンで偶然開催中だった同展を観る機会があって、それはなかなか衝撃的なものだった。
デール・チフリーは以前ヴェニスのガラス作家と組んで仕事をしていたので、その作品はよく知っている。だが植物園で展覧会をするという発想は斬新で、正直これはヤラレター!と思った。
キュウ・ガーデンはアトランタ・ボタニカル・ガーデンに較べ規模が大きく、今回の展覧会には新しい作品もたくさん出展されていた。
パーム・ハウス、テンペラート・ハウス、プリンセス・オブ・ウェールズ・コンサバトリーの各温室が展示会場として使用され、パーム・ハウス池には60を超えるフローティングのオブジェと、さながら宝船のようなガラスのオブジェが詰まったゴンドラが浮かべられた。
キュウ・ガーデンの多彩な植物群の中に置かれたチフリーの作品は、調和と反目の中にも、宇宙的で強烈なパワーを放っていた。写真を撮っていてこれほどワクワクさせられる作品もそうざらにはない。
# by tatsuokotaki | 2005-09-16 22:45

毎日雨ばかり            2005年9月8日(木)

台風の影響でずっと雨ばかり。先週からフィルムのテスト撮影が出来なくて困った。フィルムは製造時にエマルジョン・ナンバー(フィルム面に塗られる乳剤識別番号)がつけられていて、ナンバー毎に微妙に発色が違ってくる。そのため番号が変わるたびに、テスト撮影が必要になるわけだ。
今日はようやく太陽が顔を出してくれたので、御茶ノ水の聖橋界隈でまとめてテスト撮り。時間がないので、西麻布の現像所クロマートへ直接フィルムを持って行った。
10日から仕事でイギリスに行くので、湯島のコニカ・ミノルタでフラッシュ・メーターを、新宿のマミヤと銀座のニコン、それぞれのサービス・センターでカメラを点検してもらった。
海外の撮影はすぐに撮り直しというわけにいかないので、できる打け万全を期して出かけるようにしている。トータルで考えるとデジカメは便利だが、手間暇かけるということは利便性だけでない「何か」があると信じているので、しばらくはフィルムを使って仕事をしていこうと思っている。
今日は昼食も抜きだったので夕食は“神田きく川“でうな重を食べて、その後“竹むら”でこの夏始めての氷あずき。さあ帰って荷造りだ!
そんな事情で、またしばらく「気紛れ日記」はお休みさせていただきます。
# by tatsuokotaki | 2005-09-08 22:23

パリ最後の日       2005年7月29日(金)

今日はいよいよパリ最後の一日。バスチーユ広場から撮影を開始する。バスチーユ広場の革命記念の塔“7月の円柱”のてっぺんの天使は、金箔が化粧直しされたとみえ朝日を浴びてギラギラと輝いている。
家具屋さんが並ぶサン・タントワーヌ通りを歩いてサン・ポールへ。せっかくなのでヨーロッパ写真美術館を駆け足でのぞいてから、ルイ・フィリップ通りで便箋など買物。観光客でいっぱいのノートル・ダム寺院を横目にサン・ルイ島へ。
サン・ルイ島の住人である木立さんの話では、数年前からサン・ルイ島は外国人(主にアメリカ人)による投機目的の不動産買収の嵐が吹き荒れていて、個人商店がどんどん姿を消していっているそうだ。アイスクリーム屋には相変らず観光客の行列が出来ているが、昔のサン・ルイ島ではなくなってしまったとか。確かに通りを歩くと、最近出来たらしい得体の知れない土産物屋がやたら目に付く。
セーヌに浮かぶ巨大船のようなサン・ルイ島の先端部分に、ヘミングウェイも昔訪れたという釣具店“デュポスの店”がある。1934年創業の、フランスではめずらしいフライ・フィシングの専門店だ。この店にはここでしか買えない、シルクで作られたフライ・フィッシングのラインがある。ひとつ130ユーロ(約1万8千円)とかなり高いのだが、店主曰く「きちんと手入れして使えば10年以上使えるさ。今どきのビニール製に較べたら安いモンだよ」とのこと。これは自分へのお土産として購入。
夕方、今日がパリ最終日なので木立さんの家で原稿の打ち合わせなどしてから、近くのカフェへ。シャンパンで暫しの別れをと思ったら、今日は全部売り切れとか。しかたがないのでビールで乾杯。明日でパリともお別れだ。写真を撮るならやはり夏の時期は避けてまた来たい。日本はまだ暑いだろうな~。
# by tatsuokotaki | 2005-07-29 03:43

夏の光 ━パリの一日━  2005年7月28日(木)

10時起床。日本で抱えているトラブルのいやな夢で目が覚める。朝食の時間を過ぎてしまったのでシャワーを浴びて外出。
先日パサージュ・パノラマにある印刷屋さんに頼んでおいた、写真用のTimbre sec(写真のプリントに自分の名前を型押しする“打ち出し印”)を受け取りに行く。明日からバカンスだという店のお姉さんは、今日は真っ赤なドレスでおめかししている。
品物を受け取って、ギャルリー・ヴィヴィエンヌにあるサロン・ド・テで朝食。ギャルリー内にあるジャン=ポール・ゴルチエの店は以前よりだいぶ売り場面積が広くなったみたいだ。このあたりを徘徊していると、時々ゴルチエ氏に出くわしたりする。ぼくはだいぶ昔、ロンドンのチャリング・クロス駅の裏通りにあったゲイばかりが集まる(確か“Heaven”とかいう名前の)クラブで、ゴルチエ氏を紹介されたことがある。その時握手した彼の手がやけに柔らかく温かで、いまでもその不思議な感触が記憶に残っている。
そろそろ日本に帰る日が近づいてきたので、パレ・ロワイヤルの中庭に面した“Le Prince Jardiner”(ガーデニングのお店)でお土産をさがす。街でも着られそうな、カジュアルでお洒落な服や帽子がとても充実している。
今日は日本の夏のように蒸し暑く体調、気分共に良くない。メトロでバスチーユに出て裏通りを撮影していたら、またしても夕立のような雨。かなり激しく降ってきたのでカフェに逃げ込んで雨宿り。どうも天気が不安定で困ったもんだ。しばらくしても止みそうにないので、再びメトロに乗ってシャンゼリゼの銀行でT.Cを両替。雨がすっかり止んで、こんどは強烈な暑さだ。一日で目まぐるしく変わる天気に体がついていけない。ヴァージン・メガ・ストアで少し涼んでから、一度ホテルに戻った。
毎日相当な距離を歩いて撮影しているので、少し疲れが出てきたのかもしれない。1時間ほどホテルのベッドで眠った。
7時すぎ、再びカメラを持って外出。パサージュ・パノラマ~ヴェルドーを抜けオペラ座近くまで撮影。8時を廻っているというのに強烈な太陽が照り付けている。パリに夏の強い光はやはりしっくりこない。
日が暮れて涼しくなってから、パレ・ロワイヤルの中庭に面した“Restrant du Theatre”で夕食。フォアグラ入りインゲンとレタスのサラダ、カルチョッフィ入りリゾット、デザートはブラックベリーのソルべ、エスプレッソ・コーヒー。どれもとてもおいしかった。
今日は日中体調が悪かったが、おいしいものを食べて少し元気が出た。涼しくなった夜道を歩いてホテルに帰る。パリはいま街中が日本食レストランだらけ、といってもほとんどが中国人が経営しているまがいモノで、“スシハウス”の看板が“スンハウス”になっていたりする。日本人の板前さんが、あんなものが日本料理と思われては困ると嘆いているそうだ。
# by tatsuokotaki | 2005-07-28 23:12

ベルサイユ宮殿の庭     2005年7月27日(水)

今日はサン・ミッシェルのカフェ・デパールで木立さんと待ち合わせして、一緒にベルサイユに行った。ぼくは20年以上フランスに通っているのに、お恥ずかしいことにまだ一度もベルサイユ宮殿に行ったことがなく、アジェのセピア色した写真のベルサイユしか知らない。
サン・ミッシェルからRERに乗ろうとして地下に下りたら、ホームへの階段が塞がれていて「工事中のためアンバリッド始発」と貼り紙がしてある。連絡バスもあるらしいが、時間がもったいないので地上に出てタクシーでアンバリッド駅へ。
まったくフランスという国は、何事も思うように運ばない。そのうえベルサイユ行きの列車が、牛歩のごとくノロノロ運転ときている。それでもアンバリッド駅から30分弱でベルサイユに到着。世界文化遺産の観光地だけあって、さすがに人が多い。人の流れにまかせて15分程歩くとベルサイユの正門に到着。観光バスがたくさん停まっている。
観光客の大半は宮殿内に吸い込まれていくが、今日のぼく達が目指すのは、改修なった庭園の方。中に入ってまず、その広大な敷地にびっくり。遙か彼方の境界線すら見えない。宮殿前の花壇には、色とりどりの花が満開だ。でもその花の配色パターンが、庭中すべて一緒というのにもちょっと驚いた。イギリスの庭を見慣れているぼくには、色の組み合わせのセンスがいまひとつと思えたが、それよりこれだけ広大な花壇をうめつくすのに、どれほどの数の花苗がいるのか、そちらの方が気になった。
完全に左右対称に形成されたフランス式庭園は、「自然をも我が意のままにねじ伏せてやろう」的な権力意識が垣間見えて、無意味なほど広いの敷地も含め人間の限りない欲望の深さに想いを馳せてしまった。
今日もひと時激しい驟雨があったが、午後は陽が差してとても暑い一日だった。それでも閉園の8時近くになると人も疎らになって、涼しい風と共に庭園も別の表情を見せてくれた。
帰り際、わずかに薄れゆく太陽光線で眺めたオランジェリー庭園は、とても素晴らしかった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-27 00:55

今日もパサージュの撮影  2005年7月26日(火)

朝一番でサン・ジェルマンのドラゴン通りにあるarshe(レ・アールにもある、ぼくの大好きな靴屋さん)へ。ちょうどセールの最中で、秋の新作も含めぼくと娘の靴を2足づつ購入。ブラッスリー・リップでカフェ・オ・レを飲んでひと休みしてから、メトロでサン・ポールの“hotel du sully”の書籍売場へ。ロベール・ドアノーの写真集『PASSAGES』を捜しに行くが、だいぶ前に出た本なので在庫は無かった。サン・ポールのカフェで“百姓サラダ”で昼食。
靴を4足も持ち歩いているので一度ホテルにもどって、午後はパサージュの撮影に。
パサージュ・プラドから始めて、パリにいることを忘れそうなインド人街パサージュ・ブラディ、先日撮影出来なかったサン・ドニ通りのパサージュ・ポンソー、浅草橋のように生地問屋、モード関係の店ばかりが並ぶパサージュ・ケール(カイロ)。ここは1798年に建てられ、現存のパサージュの中では最古のものとか。ナポレオンがエジプトから凱旋した後、造られたそうだ。
今日最後の撮影地、パサージュ・グラン・セールからサン・ドニ通りに出たところで、また雨が降り出した。すごく疲れてしまったので、フォーラム・レ・アールの映画館(『血と骨』を上映中)に途中から入って熟睡。
映画はぜんぜん観なかった。ベトナム料理屋で生春巻きとエビ焼きそばを食べてホテルに帰る。疲れた…。
# by tatsuokotaki | 2005-07-26 01:20

サマリテーヌが閉鎖     2005年7月24日(日)

9時起床。窓の外は雨。昨夜、風邪をひいたかなと思ったが、どうやら大丈夫そうだ。テレビをつけたら、日本で大きな地震があったとニュースが報じている。渋谷の街の混乱が長々と映し出されているが、東京に大きな被害はなさそうだ。フランスでも日本の地震は、かなりの関心事になっているようだ。ホテルでゆっくり朝食をとって外に出たら、雨はほとんど止んでいた。 
今日は荷物を軽くして、再びパリを撮影。
歩調をきめて、なるべく疲れないようにゆっくりと歩く。歩く速度で街の見え方もまた違ってくるから不思議だ。ホテルからモンマルトル通りをひたすら南下して、レ・アールからセーヌの右岸へ。老舗デパート、サマリテーヌの屋上からパリの街並みを撮影するつもりだったが、辿り着いたら何とサマリテーヌが閉鎖されていた。6月15日に閉店したというが、建物が老朽化して消防法に触れる等々、様々な噂が飛びかっているらしい。
現在の所有者はLVMHグループ(日本人が大好きな鞄屋さんです)で、6年間改修のため閉鎖するそうだ。売り上げの40%を日本人が占めるというLVの現在のオーナー、フランスでは何かにつけあまり評判が良くないようだ。百貨店をやめて、高級ホテルに改装するなどという話もあるらしい。この建物の内部の、アール・ヌーボー様式の吹き抜けはとても見事なものです。
ポン・ヌフを渡って(こちらも部分的に修復中)リュクサンブール公園まで、ホテルから約2時間歩いた。ちょうどお昼の時間になったので、公園の前のブラッスリーで昼食。
ルッコラ、生ハム、モッツァレラ・チーズ、ドライ・フルーツ入りのサラダと、パンに何かの種(何だか正体が分からなかったが)をペーストにしてぬったもの、お酒はお医者さんにとめられているので飲み物はペリエ。食後にエスプレッソ・コーヒー。
食事をすませてリュクサンブール公園に入ったらまた雨がパラつき始める。今回のパリは天気が不安定で、一日のうち必ず一度は雨が落ちてくる。公園を横切って、洒落た店が並ぶババン通りをぬけ、モンパルナス墓地へ。ここは、あまり大っぴらに写真を撮っていると注意されるので、慎ましく墓地をひとまわりして撮影。
天気が悪く、光も良くないので今日の撮影はここで打ち切ることにする。メトロでレ・アールに戻って、フォーラム・レ・アールでウインドゥ・ショッピングでもと思ったのだが、スターバックス・コーヒーとマクドナルドを除いて、店が全部閉まっている。以前は日曜も開いていたのに。しかたがないので再び地上に出て、モントルグイユ通りを散歩する。
レ・アールが昔パリの中央市場だった名残で、この通りには老舗の食料品店がたくさん並んでいて楽しい。カフェに入ってコーヒーを飲みながらツール・ド・フランスのテレビ中継を観ていたら、日本のTさんから携帯に電話が入る。出かける前に脳の検査等で大騒ぎしてしまったので、心配して電話してくれたようだ。
カフェで休んで、Tさんとしばらくおしゃべりしたらまた元気が出たので、もうひと歩きすることに。
雨もどうやら止んだようだ。
サン・ドニ門を潜って、サン・ドニ通りを再び南へ下る。ここは昔から有名な売春街で、昼間から通りの両側に、胸もあらわなオネーさん達(日本のK姉妹を思い描いていただくと、かなりそれに近い)が立っている。でもどうしたことか以前より人数が少なく、ほとんどが年増のおばさんばかり。昔は若くてすごく可愛い子が、真冬だというのにほとんど裸に近いような格好で立っていた。木立さんに聞いたら、いまはブローニュやバンセーヌの森に本拠地が移っているとか。ブローニュは昔は確かホモの巣だったような記憶があるが、今は何でもありみたいだ。ホモ同志の殺人事件があったそうで、夜は物騒だそうだ。
サンドニ通りに面して、パサージュ・ブラディ、ケール、グラン・セールがあるが、今日は日曜日なので入り口の鉄扉が閉まっていて撮影は出来ず。
 夕方、再びレ・アールに戻って中華料理屋さんで食事して、八百屋でメロンを買ってホテルへ帰る。今日は良く歩いた。荷物を軽くしたのは大正解だった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-24 02:39

パリとの対峙         2005年7月23日(土)

8時起床。今日からパリの街の撮影だ。今回のパリでの撮影テーマはいくつか決めてきたが、正味7日間しかないので、果たしてどうなることやら。
まずは歩いてホテルに程近いパサージュ・ジュフロアへ。パサージュとは、日本でいうところの屋根付き商店街で、18世紀末から19世紀半ばにかけてパリに70余りが建設された(現存は20ほど)。その多くは、ぼくが今回宿泊しているグラン・ブールバール周辺に存在する。パサージュ・ジュフロアには有名な“グレヴァン蝋人形館”などもあって、浅草仲見世通りのような活気と猥雑さがある。ところが朝早いせいかバカンス期のせいか、ほとんどの店が閉まっている。そのままヴェルドー~パノラマ~ショワズール~ギャルリー・ヴィヴィエンヌと廻ったがどこも同じようなもの。
初日から出鼻を挫かれ気分的には多少メゲるが、しかたがない。現場主義は写真の宿命だが、現場に行ったからといって、必ずしも写真がモノになるとは限らないからツライ。その点文章は多少の創作、あるいは捏造(文筆業の方ゴメンナサイ)ができるので羨ましく思うこともある。
しかたがないので予定を変更してもうひとつの撮影テーマである「パリの擬木」(コンクリートで作った樹木)を求めてメトロで左岸にある植物園へ。
新宿御苑に明治38年フランス製の日本で最初の擬木の橋がある(御苑を訪れるほとんどの人は気付かずに通り過ぎてしまうが)。100年前に出来たこの橋は、西洋の造園技術を学ぶためフランスを訪れた、宮内庁内苑局庭園設計技師市川之雄が現地で購入。3人のフランス人技師を呼んで造らせたもの。日本で擬木の資料を探したが全く見つからないので、一体何処が発祥やら分からないのだが、明治時代にフランスに存在したのは確かなので、パリで探してみようという訳だ。7日間の猶予では雲をつかむような話かもしれないが…。
植物園に併設された動物園の中で、幸いにも本物の樹木と見紛うばかりに大きな擬木をひとつだけ見つけ、撮影することが出来た。
撮影が思うようにいかないせいか、カメラバックがやけに重く感じる。体調が良くないので早めにホテルに帰ることに。悪寒がするので風邪をひいたのかもしれない。ホテルの部屋で薬を飲んで、早めにベッドに入る。
今日は気持ちばかりが先行して、撮影が思うようにいかなかった。街を撮影するのは予めセッティングされた仕事と違って、別の意味の集中力と緊張感が必要となる。明日は機材を少し軽くして、気持ちをもっとリラックスさせよう。
# by tatsuokotaki | 2005-07-23 22:11

多国籍ツアー最終日      2005年7月22日(金)

パリはとバスツアーもいよいよ最終日。今日は木立さんに急用が出来てしまったのでぼくだけが参加することに。バスでバスティーユ広場まで行って、アルスナル港からサン・マルタン運河を船でクルージング。地下を流れていた運河はバスティーユで地上に出て、鉄で出来た優雅なめがね橋の下をくぐって終点のヴィレットの船溜りへ至る。
セーヌとヴィレットは26mも水位差があるので、途中9つある水門で水位を調節しながら船はのんびりと進んで行く。マルセル・カルネの映画で有名な『北ホテル』を過ぎたあたりで、水門にトラブルが生じたらしく、30分ほど船内で足止めされた。どうやら水中で鎖が絡まって、水門が開かなかったようだ。
『HOTEL DU NORD』は『天井桟敷の人々』などでも知られるマルセル・カルネ1938年の作品。映画はスタジオのセットで撮られた様だが、原作の舞台となった北ホテルは前面だけ当時を再現しているが、現在はカフェ・ブラッスリーになっている。
運河廻りも無事終了。再びバスでパリ市内のマルシェ・サン・トノレへ。水門で待たされたこともあってお腹がペコペコだ。
りカルド・ボフィール設計の全面ガラス張りの建物を眺めながら、本ツアー最後の昼食。メニューはゴート・チーズとキューカンバーの前菜。メインはフォアグラ、がちょうのリエット、スモークしたがちょうのフィレ、鴨の骨付きの盛り合わせ。ぼくにはややヘビーだった。デザートは3種のアイスクリームにエスプレッソ・コーヒー。
3日間のツアーはここで終了で自由解散に。お疲れ様でした。それぞれが各国の参加者に別れを告げ、ぼくはバスでホテルまで送ってもらった。。
ホテルで撮影したフィルムを整理してから、まだ時間が早いのでメトロでレ・アールへ行く。大好きな靴屋“Arshe”をのぞいてから数軒先の“Plaques et Pots”へ。ここは昔から変わらぬ店構えのホーロー製品の店。パリの街の地番やメトロの駅名表示板、立ち入り禁止、駐車禁止などの大きなものからドアに付けるトイレの表示まで、ホーローで焼き付けたシャレたプレートが見つかる。10年以上前に買ったホーローの温度計をもう一つ買おうと思って行ったのだがもう作ってないという。残念!インテリアに使えそうな可愛いプレートをいくつか買って、優しそうな老夫婦に別れを告げ店を出た。
久しぶりにポンピドゥ・センターの広場に行ってみたが大道芸人は一人もいなかった。メトロでサン・ジェルマンに出て“PAUL”でチーズ・オムレツとバゲットで軽い夕食。お昼に食べた鴨がまだ尾を引いている。
さあ明日からパリを撮るぞー!
# by tatsuokotaki | 2005-07-22 23:38

ローラン・ギャロスとオトゥイユ温室庭園  2005年7月21日(木)

8時起床、ホテルで朝食を済ませ今日もバスツアーへ。ブローニュの森を抜け、テニス好きの聖地(なのかな?)ローラン・ギャロスへ。テニス博物館と伊達公子さんも活躍したというテニスコートを見学。ぼくはテニス(というか運動そのもの)に全く興味がないので、ガイドさんには申訳なかったが解説はほとんど上の空で、ブローニュの森から吹いてくる爽やかな風と真っ青に澄んだ空を満喫させてもらった。
実は中学生の時、興味半分でテニスクラブに入ったことがあるのだが、球がまったく思う方向に飛んでくれないので一日でやめた経験がある。
ローラン・ギャロス内のレストランで昼食の後は、隣接するオトゥイユ温室庭園へ。イギリスのキュー・ガーデンなどに較べるとはるかに規模は小さいが、建物はアール・デコ様式でなかなか趣がある。パリの中心部は建物はもとより、街全体が石で囲まれているので、緑の中に身をおくとやはりホッとする。今日は天気も良く、午後になって急に温度があがって日本の夏のような暑さ。
夕方、といっても夏のパリの太陽はまだまだ天空高くにあるのだが、セーヌ河畔の「パリ・プラージュ」へ移動。何のことかと思いきや、セーヌ河畔の自動車道路を閉鎖して、巨額の資金を投じて日本でいうところの歩行者天国をセーヌ河畔で行っている。パラソルを立てた模擬店なども出ているのだが、橋の上から見ただけでつまらなそうなのでパスすることに。バカンスに行けないパリジャンのためにせめて“セーヌ河畔を開放して日光浴を”等々、数多のうたい文句はあるようだが観光客を含め評判はイマイチのようだ。7時半にホテル集合とのことなので、木立さんとサンルイ島のカフェでのんびりとお茶を飲んで過ごす。
夕食はツアー・メンバー全員でシャンゼリゼのレストラン“ル・ノートル”へ。シャンゼりゼは開催中のツール・ド・フランスのゴールの為の客席作りの真っ最中だった。
“ル・ノートル”の庭に面したテーブルで、ぼくのうしろの席の不思議な3人組(男2人と女1人)の奇妙キテレツな行動を木立さんと横目で眺めながら食事する。この3人組、並んで座った男女は明らかに恋人同士なのだが、向かいに座った男性の前で食事しながら異常なほどの大胆さでイチャついている。男性一人の方は背を向けていたので残念ながら表情が見えなかったが、当然のごとく周囲は異様な雰囲気に包まれていた。この3人、目一杯正装しているのだが、この上なく田舎くさいのでよけいに人目をひいた。あまりに激しいイチャつきようにぼくも木立さんも呆気に取られ、ある種の変態では?との結論に達した。陽が落ちたせいか、あたりは寒いくらい涼しくなった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-21 23:41

パリ到着            2005年7月20日(水)

フランス時間午前4時15分、シャルル・ドゴール空港着。こんな朝早くパリに着いたのは始めてだ。機内でよく寝たし、ぼくは普段でも明け方まで起きているのでそれほど苦にはならない。道路はガラガラだし、パリ市内まで渋滞もなく、タクシーでグラン・ブールバールのホテルに実にスムースにチェック・インすることが出来た。
今回の仕事はパリ市観光会議局による「多国籍プレス・ツアー」と称し、各国からジャーナリストを集め、2泊3日のいってみれば“パリはとバスツアー”をしようというもの。
参加国はイギリス、ドイツ、スイス、ベルギー、ロシア、インド、タイ、スペインそして日本からはぼくとパリ在住のジャーナリスト木立玲子さんが参加する。木立さんは古い友人だが、以前は国営ラジオ・フランスで仕事をしていて、ぼくがパリ在住の日本人の中でいちばん信頼しているジャーナリストだ。現在はフリーで毎日新聞日曜版に『欧州的成熟ライフ』と題するエッセイなどを連載中だ。
今回のツアーの訪問先は主催者任せなので、仕事そのものは実に気楽なもの。ぼくはこの仕事の後、一週間ほど残って久しぶりにパリの街の撮影をするつもりだ。午後の集合時間までだいぶ時間があるので一眠りすることに。
1時過ぎ、ホテルにやって来た木立さんと近くのブラッスリーで昼食。一年ぶりの再会だ。パリはとても涼しくて高原にいるような爽やかさ。
3時にホテルのロビーに各国の参加者が集合していよいよバスツアーの始まり。今日はパリ郊外のシュレーヌにあるワイナリーの見学。小高い丘の上の葡萄畑からは遠くエッフェル塔やパリの街並みが見渡せる。モンマルトルの“ラパン・アジル”の前にも小さな葡萄畑があるが、パリからこんなに近い場所でワインが獲れるというところが主催者のいわんとするところらしい。まだ5~60年のワイナリーで生産量も限られているので、地元のスーパー・マーケットに卸すのが精一杯だとか。一本8ユーロというからまあごく大衆的地酒といったところでしょうか。
ワイナリー見学の後は、パリ市内にもどって、再開発された”ベルシー・ヴィレッジ”(もとは各地のワインの集積所、及び貯蔵庫)でフランス各地のワインを試飲しながら夕食。
早朝から夜まで実に長~い一日だった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-20 23:09

あわただしいパリ出発       2005年7月19日(火)

一昨日の夜、両手に軽い痺れが出た。気になったので金沢の整体の先生に電話したら、すぐに検査するようにとのこと。19日からパリに行く旨告げると「脳からきてると怖いよ、体と仕事どっちが大事なんや」とおどかされる。
といっても運悪く明日は祭日。明後日の飛行機が夜の便なので検査をするにしても出発当日の日中しかない。たまたま先日親しい知人Kさんが脳の出血で、MRIの検査後即手術して大事にいたらなかった。Kさんの話では都内のMRI検査は予約制で当日行ってすぐ検査というのは難しいかもしれないとのこと。困り果てて水戸の友人T先生に電話した。
翌朝T先生から早速電話をいただいて、水戸の先の常陸太田にある友人の脳神経科で朝一番に検査してくれるとのこと。常陸太田にはぼくの姉が嫁いでいるので何度も行ったことがある。
MRIの検査は一時間ほどで終わって、幸いにも脳には異常はみられないとのこと。帰国してから再度頚椎のCTをとりましょうということで一安心。
せっかくなので姉のところにちょっと顔を出して、東京にとんぼがえり。青山にあるエール・フランス本社へ。
うっかりしていてカメラ機材等の重量オーバーのエクセス許可をとり忘れていたので、別チケットを出してもらった。
何とも慌しい一日だったが、どうやら成田発21:55のAF277便に飛び乗って一路パリへ。夜の便なのに結構混んでいたが、3席分もらったので横になってパリまでぐっすり寝た。
# by tatsuokotaki | 2005-07-20 15:15

梅雨が明けた           2005年7月18日(月)

梅雨が明けたと思ったら突然すごい暑さ。外に出ると太陽熱で頭がクラクラする。7月23日から始まる「ねむの木とまり子展」の準備がいよいよ今日から始まった。宮城さんから「ガラスの作品観てね」と以前からいわれていたので、お昼から木場の東京都現代美術館に出かけた。 
会場が思っていたより遥かに広いスペースで、かなり見応えのある展覧会になりそうだ。子供達の絵はまだ3分の1くらいしか箱から出ていなかったが、宮城さんが作ったガラスの大作を見せていただいた。ステンド・グラスのように窓に嵌め込める『オスロの霧』と題された作品がすごく面白かった。あまりに会場が広くて展示が大変そうだ。
宮城さんと2時間程会場を廻って、明日からのパリ行きの支度があるので失礼することに。お餞別にと、宮城さんから360円の時代に変えたという“貴重な”ドルを沢山頂いてしまった。ドルの現金を抱えて昔ニューヨークにお芝居の権利を買いに行ったそうだ。
パリも30度の暑さとか。という訳で『気紛れ日記』はさらに気紛れになってしばらくお休みします。帰ったらまたパリの話など書きたいと思います。皆さんもよい夏休みを!
ぼくのパリ行きは仕事です(念のため)。
# by tatsuokotaki | 2005-07-18 23:23

蜘蛛と鳥瞰        2005年5月31日(火)

5月の連休に取材の約束をしていた七里バラ園の撮影で、昨日から伊豆に来ている。昨日はあいにく一日雨だったので、室内でバラジャムと花びらの砂糖菓子作りを撮影した。
どちらも見ている間に出来上がってしまうのだが、食用にするために無農薬でバラを育てるまでの苦労が大変だ。カゴいっぱいのバラの花びらが、ジャムにすると小さなひと壜になってしまう。
今日は“B”誌のY編集長も合流してバラが満開の庭を撮影したり、七里夫妻の無農薬バラ作りのお話を伺った。7年物のバラのリキュールを飲ませてもらったが、これは絶品だった。
取材の後Yさんと共に、ぼくがいつも泊めて頂いている宿“ブルー・イン・グリーン”に戻って、コーヒーを飲みながら君島さんとしばらく話をした。
電車で帰京するYさんを下田まで送ってから、河内温泉金谷旅館に寄って温泉に入った。今日は午後から夏のような日差しが照りつけて、とても暑い一日だった。
露天風呂でいつものように寝転んでいると、頭上で蜘蛛が巣作りをしていた。夕暮れ時のグレーの空を背景にすると、糸が見えないので蜘蛛が空中で奇妙なダンスをくりかえしているようだった。蜘蛛からはぼくがどんな風に見えるのだろう。
先ほど君島さんと今年の夏、伊豆の海でシュノーケリングを教えてもらう話をしていたら、「海に浮かんで遥か下の海底の魚を眺めていると、自分がまるで鳥になったような気がする」と彼が言っていた。
蜘蛛から鳥瞰するぼくは、海底の魚みたいなのだろうか。
# by tatsuokotaki | 2005-06-01 23:45

七里バラ園        2005年5月6日(金)

今日は伊豆から東京に帰る日だ。朝食の後、宿の君島氏に案内して頂いて、R氏(映画『スパイ・ゾルゲ』の脚本を手がけたイギリス人ジャーナリストだが、先日のインドネシアの津波に巻き込まれて亡くなった)の別荘を見に行った。道路から少し入っただけなのに、目の前の海の眺めは絶景だ。こんな素晴らしい海を眺めて暮らしていた人が、たまたま出かけた旅先の海で、それもめったに起こりえない天災にあって亡くなってしまうとは…。人の運命とは何と儚く、不思議なものかとつくづく考えさせられた。
blue in greenに戻って君島夫妻と1時間ほど話しをしてから、市ノ瀬部落にある七里バラ園に行った。このバラ園は知る人ぞ知るといった存在だが、主人の七里静夫氏(61歳)が長年試行錯誤を重ねながら、完全無農薬でバラを栽培している。
どくだみ、ヨモギ、シロツメ草、ウコンなどの植物抽出液に唐辛子、木酢液、焼酎などを加え、果てはカスピ海ヨーグルトから納豆までと、話を聞いていると「何でもありか?」みたいなオリジナルの防虫液を考案して見事なバラを咲かせている。
アブラムシを食べてくれるてんとう虫もいるわけだから、殺虫ではなくあくまで防虫を目的に、自然のサイクルを最大限活用しながら植物を育てるという考えは、とても共感するものがあった。
実は昨年、あるバラ園の撮影に行った際、開園前の凄まじい農薬散布の現場を目撃してしまった。建物の屋上から園の全景を撮影していたぼくは、大げさでなくある種の危機感を覚えた。なぜならその10分後には観光バスが到着し、多くの観光客が鼻をすり寄せんばかりにバラの香りを嗅いでいたからだ。
これではバラの香りどころか、農薬を胸一杯吸い込んでいることになる。農薬は大地に浸透し川に流れ込み、結果海をも汚染することになる。
七里バラ園も嘗ては農薬を使用して大輪のバラをたくさん咲かせていたという。奥さんの話では、「そのころはバラの季節になると行列ができるほどお客さんが来たものです。でも無農薬を始めてからは本当にバラを愛し、自分達のバラ造りを理解してくれるお客さんとゆっくり話しができる時間もできて、とても幸せです」とのことだった。奥さんの作るバラジャムや花びらの砂糖菓子は、勿論一切薬品は使用していない。お話を聞いている間、バラジャム入りのヨーグルトや、カモミールとレモンバームのハーブ・ティーを出して頂いたがどれもとてもおいしかった。
ご主人静夫氏のキャラクターがこれまた実にユニークで、風貌はまさに俳優の柄本明といった感じ。30年前に横浜から伊豆に移り住んだ脱サラだそうだが、山でイノシシと遭遇し、素手で戦って捕らえたなどの武勇伝もある。まむしには年に数回遭遇するし、蜂に刺されたのは数え切れないくらい「この仕事はまさに命がけですわ」とのこと。無農薬バラ栽培の話を今度雑誌で取材させて頂く約束をしてバラ園を後にした。
# by tatsuokotaki | 2005-05-10 01:58

ちょっと得した一日       2005年5月5日(木)

朝食の後、一足早く帰宅するTさん家族を見送ってから、blue in greenの二階の海の見えるテーブルで連休明けに〆切の原稿書き。パソコンに向かっていると、東京での疲れがドッと出てきて、いたたまれずに部屋に戻って何年ぶりかで昼寝する。今日は泊り客はぼく一人なので、好き勝手にさせてもらう。
夕方から一人で下田の河内温泉、金谷旅館の千人風呂へ行く。プールのような檜の浴槽からは、相変らず熱い源泉が溢れていて気持ちが良い。のぼせてきたので露天風呂の檜の湯船の縁で寝転んでいたら、近くで女性の声がするのでギョっとして起きると若い女性が入っていた。ここは混浴か!?
知らなかったが千人風呂の隅に小さな木戸があって、女性のお風呂からは出入り自由になっていた。宿に戻って君島氏にその話をしたら、「良かったじゃなーい」といわれる。そりゃその通りですが、ちょっと驚きました。混浴でオバチャンと一緒になったことはあるけど、若い女性は始めてだった。でも何だかちょっと得したような一日でした。
夜は再び蛙の鳴き声を聞きながら、午前1時過ぎまで原稿書きをした。
# by tatsuokotaki | 2005-05-10 01:24

南伊豆の休日     2005年5月4日(水)

連休はどうしようと思っていたところに、水戸のTさんから伊豆に行きませんかとの電話があった。ぼくは3日は丸の内仲通りの“フラワー・ギャラリー2005”の撮影があったので、それを終えてから出かけることにした。
撮影が思ったより長引いてしまったが、夕方ウサギのミミ公を四谷のペット・ホテルに預けて伊豆に向かった。
宿はお正月にも泊めて頂いた、南伊豆の子浦にあるblue in green。夜遅く到着したぼくを、Tさんがシャンパンで歓迎してくれた。宿の君島氏も交えて夜1時過ぎまでおしゃべりした。
翌4日は画家の井上公三氏のアトリエで、2年越しで完成したという椿の連作を観せて頂いた。アトリエに並べた大作5点は圧巻だった。
お昼はTさんのご家族(美人の奥様と可愛い2人のお嬢さん)と、松崎の“プロヴァンス・ド・すずき”で鴨料理のコース・ランチを摂って、町営のお花畑で花摘みをした。ここは無料の上、温泉の足湯もあってなかなかの人気。
午後は一度宿に戻ってから、子浦漁港の岸壁に釣りに出かけた。釣果は小魚一匹釣れないという悲惨なものだったが、のんびり楽しい時間を過ごすことができた。
夜はいつものように君島氏の美味しい料理でワインを飲んだ。旬の筍が美味だった。
# by tatsuokotaki | 2005-05-09 15:35

ぼくの学生時代     2005年4月27日(水)

今日は午後から、以前平凡社にいたWさんと雑誌のグラビア用の写真のセレクトをした。Wさんとは平凡社の雑誌『太陽』のイギリス取材で一緒に旅をしたことがある。惜しくも廃刊になってしまった『太陽』は、写真学生だった頃のぼくにとっては憧れの雑誌だった。
当時ぼくが通っていた東京造形大学の写真科には、石元泰博氏を中心に、大辻清司、東松照明、高梨豊、奈良原一高氏等そうそうたる写真家が教えに来ていて、雑誌『太陽』は彼等の写真家としての活躍の場でもあった。ぼくは『太陽』が廃刊になる寸前にすべりこみセーフで仕事ができたことになる。 
当時の造形大学は、デザイナーの杉浦康平、勝見勝、木村恒久、勝井三雄、建築家の磯崎新、彫刻家の佐藤忠良氏等々、今振り返ると考えられないような多くの巨匠が専科の講義を受け持っていた。ぼくは後年、仕事をご一緒させていただくことになる蓮実重彦氏の授業をマン・ツー・マンで受けたこともある。その時は、ぼくが沖縄で撮ってきた写真を、蓮実氏が一枚一枚丁寧に見てくれた。
当時の造形大学は高尾の山の中の八王子城址という所にあった。小さな沢をまたぐように建てられた浦辺鎮太郎氏設計の校舎は、中央が大きな吹き抜けになっていて、なかなか風情のある建物だった。
ぼくは東京造形大学の3期生なので、入学時は必然的に4年生はいなかった。でもぼくの入学当初の第一印象は、なんでこんなアクの強い奴ばかりが集まったのだろうという酷いものだった。おそらくぼくも、他の学生からはそう思われていたに違いないが。
写真科が一学年15名程度の少人数制だったので、上級生とは全員お友達という雰囲気だった。
ある日、校舎の吹き抜け部分にロープを渡して、写真科の上級生が綱渡りをしたことがある。25m程の距離を一人目のH君は猿の如くなんなく渡ってみせた。それに続いたのが負けず嫌いのE君だった。ところが3分の2くらいまで行った所で手がいうことをきかなくなってしまい、ザイル!ザイル!などと叫んでいる間もなく、E君はバンザイ状態のまま真っ直ぐ落下していった。校舎は3階建てだが、谷底状の沢をまたいでいるので実質的には5階くらいの高さはあったかもしれない。E君は墜落のショックで気を失い、救急車で八王子の病院へ運ばれた。
ぼくを含めた数人が落下したE君を3階の窓から見ていたのだが、沢の斜面に横たわるE君のズボンの内側の太もも部分が大きく裂けていて、ショックの大きさを物語っているようだった。全員がE君の容態を案じて病院からの知らせを待った。
数時間後、学生ホールに行くと病院に行ったはずの学生がいつの間にか戻っていて、タバコを吸いながら寛いでいるではないか。すかさず容態を聞くと「あの野郎、病室で口笛ふいてやがった」と怒っている。ズボンは最初から破けていたそうだ。
おそらく沢の斜面の土が柔らかく、クッションの役目をしたのだろう。それまで心配していたぼく達も急に馬鹿らしくなって、その場は急にしらけたムードになって一件落着した。
E君は後年、自殺して亡くなった。
# by tatsuokotaki | 2005-04-29 06:43

『サボテンの花』       2005年4月14日(木)

このところ『サボテンの花』(そう、昔のチューリップの曲)を毎日のように聴いている。
チューリップというバンドはもちろん以前から知っていたが、実は全く興味がなくてまともに聴いたことがなかった。
先日、TVで深夜の明石家さんまのトーク番組を観ていたら、財津和夫が出ていて『サボテンの花』をアコースティック・ギター一本で弾き語りしていた。それがスゴク良くて、すっかり財津和夫ファンになってしまった。さっそく昔のチューリップのCDを手に入れた。チューリップの他の曲は、あまり好きじゃないけど『サボテンの花』はなかなかの名曲です!財津和夫があらためてソロでレコーディングして(絶対にアコーステック・バージョンで)出したら売れると思うけど如何なものでしょう?

あとで知ったことだが『サボテンの花』は3バージョンあった。一つめはチューリップの演奏、他の二つは財津和夫のソロで、ぼくはオフ・コースの鈴木康博がアレンジしているアコースティック・バージョンがいちばん好きだ。
# by tatsuokotaki | 2005-04-15 01:21

ありがとう        2005年4月10日(日)

ホーム・ページを開設してから、たくさんの方からメールをいただくようになった。なかには心あたたまる励ましのメールなどもあって、この場をかりてお礼を申し上げます。
昨日は中学1年生の男の子から、「小瀧さんの写真を見て感動しました。どうしたら写真家になれますか」といったメールが届いた。こういうのは何だかとてもうれしい。
ご主人を亡くしたばかりの女性から、ぼくの1枚の写真を見て「心から泣くことができました」というメールをいただいたこともある。
ぼくは別に世の中のため、人のためと思って写真を撮っているわけではない。でも、ステキな文章を読んだり音楽を聴いて自分が救われることがあるように、ぼくの写真が結果的に何かの、誰かの役に立てたとしたら、これはとてもうれしい。
ぼくもいろいろな問題をかかえて生きているけれど、みなさんも自分を大切にしてください。
若い頃は目上の人がホメてくれるけど、大人になるにつれて誰もホメてくれなくなる。大人になったら、頑張ったときは自分で自分をホメてあげて、自分を好きになるような生き方をしないと…と心がけている。
# by tatsuokotaki | 2005-04-10 04:10

フォーエバー・ヤング     2005年4月9日(土)

日本人は海外に行ったりすると往々に、実際の年齢よりも若くみられるようだ。ぼくもご多分にもれずで、日本にいても歳相応にみられることがあまりない。
時々郊外の大型園芸店などで地面に花の鉢をたくさん並べて配色など考えていると、買物に来た御婦人に「ちょっとお兄さんこれいくら?」とか聞かれたりする。最初の頃はクサッていたのだが、ある日ガーデニング誌『BISES』編集長の八木さんにその話をしたら「あら、それってステキなことじゃない」といわれ、それもそうかなと素直に納得した。
10年以上前、ロンドンのハイド・パークを散歩していて、若い男性ガーデナーが咲き終わった小さな花弁を丹念に摘み取っているのを見て妙に感動したことがあった。
塩野七生さんは「日本の男はどうしてもっと自然に女性に花をプレゼントできないのかしら」と言っていたが、最近は花屋さんで若い男性をみかけることも多くなった。パリやロンドンでは、花束を抱えて帰宅する男性は日常的に見かける風景だけれど。
話を年齢のことに戻そう。
ぼくは常々、権威的なジジイにだけはなるまいと自分で心がけている。昔、パリから日本に戻る飛行機で、画家の菅井汲さんを見かけたことがある。一見パリのカフェで見かける労働者といった雰囲気なのだが、セーターにさりげなくマフラーを巻いたジーンズ姿が実にカッコよかった。
あんな歳のとり方が出来たら最高だと思っている。
# by tatsuokotaki | 2005-04-09 03:09

抗鬱剤とストリップティーズ   2005年4月6日(水)

先週末、府中のS病院で処方してもらった抗鬱剤が合わなくて3日程最悪な気分だ。先生に電話して、薬を飲むのはとりあえずやめたが、月、火と打合せで人に会っている間もすごく気分が落ち込んでいた。
今日は朝一度起きて部屋を掃除してから、再びベッドに横になった。
ベッドの中で友人のカメラマンT君に電話して彼の友人の鬱の話など聞いた。「何か気晴らしでもしといでよ」とT君に励まされる。
夕方から外出。浅草のヨシカミで食事してから、8時過ぎからロック座に入って終演までストリップを観た。特別出演の白鳥さくらちゃんが、コンピューター・グラフィックスで作り上げたサイボーグ美少女の様―顔は小さくて小柄だけどオッパイはとても大きい―。
舞台に一番近い袖で観ていたら、時々踊り子さんに間近で悩ましい目で見つめられたりしてけっこうドキドキした。でも文字通り“裸一貫”で生きている彼女たちは見ていて清々しくて、すこし元気をもらった気がした。
# by tatsuokotaki | 2005-04-08 00:19

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