小瀧達郎気紛れ日記


by tatsuokotaki

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パリ最後の日       2005年7月29日(金)

今日はいよいよパリ最後の一日。バスチーユ広場から撮影を開始する。バスチーユ広場の革命記念の塔“7月の円柱”のてっぺんの天使は、金箔が化粧直しされたとみえ朝日を浴びてギラギラと輝いている。
家具屋さんが並ぶサン・タントワーヌ通りを歩いてサン・ポールへ。せっかくなのでヨーロッパ写真美術館を駆け足でのぞいてから、ルイ・フィリップ通りで便箋など買物。観光客でいっぱいのノートル・ダム寺院を横目にサン・ルイ島へ。
サン・ルイ島の住人である木立さんの話では、数年前からサン・ルイ島は外国人(主にアメリカ人)による投機目的の不動産買収の嵐が吹き荒れていて、個人商店がどんどん姿を消していっているそうだ。アイスクリーム屋には相変らず観光客の行列が出来ているが、昔のサン・ルイ島ではなくなってしまったとか。確かに通りを歩くと、最近出来たらしい得体の知れない土産物屋がやたら目に付く。
セーヌに浮かぶ巨大船のようなサン・ルイ島の先端部分に、ヘミングウェイも昔訪れたという釣具店“デュポスの店”がある。1934年創業の、フランスではめずらしいフライ・フィシングの専門店だ。この店にはここでしか買えない、シルクで作られたフライ・フィッシングのラインがある。ひとつ130ユーロ(約1万8千円)とかなり高いのだが、店主曰く「きちんと手入れして使えば10年以上使えるさ。今どきのビニール製に較べたら安いモンだよ」とのこと。これは自分へのお土産として購入。
夕方、今日がパリ最終日なので木立さんの家で原稿の打ち合わせなどしてから、近くのカフェへ。シャンパンで暫しの別れをと思ったら、今日は全部売り切れとか。しかたがないのでビールで乾杯。明日でパリともお別れだ。写真を撮るならやはり夏の時期は避けてまた来たい。日本はまだ暑いだろうな~。
# by tatsuokotaki | 2005-07-29 03:43

夏の光 ━パリの一日━  2005年7月28日(木)

10時起床。日本で抱えているトラブルのいやな夢で目が覚める。朝食の時間を過ぎてしまったのでシャワーを浴びて外出。
先日パサージュ・パノラマにある印刷屋さんに頼んでおいた、写真用のTimbre sec(写真のプリントに自分の名前を型押しする“打ち出し印”)を受け取りに行く。明日からバカンスだという店のお姉さんは、今日は真っ赤なドレスでおめかししている。
品物を受け取って、ギャルリー・ヴィヴィエンヌにあるサロン・ド・テで朝食。ギャルリー内にあるジャン=ポール・ゴルチエの店は以前よりだいぶ売り場面積が広くなったみたいだ。このあたりを徘徊していると、時々ゴルチエ氏に出くわしたりする。ぼくはだいぶ昔、ロンドンのチャリング・クロス駅の裏通りにあったゲイばかりが集まる(確か“Heaven”とかいう名前の)クラブで、ゴルチエ氏を紹介されたことがある。その時握手した彼の手がやけに柔らかく温かで、いまでもその不思議な感触が記憶に残っている。
そろそろ日本に帰る日が近づいてきたので、パレ・ロワイヤルの中庭に面した“Le Prince Jardiner”(ガーデニングのお店)でお土産をさがす。街でも着られそうな、カジュアルでお洒落な服や帽子がとても充実している。
今日は日本の夏のように蒸し暑く体調、気分共に良くない。メトロでバスチーユに出て裏通りを撮影していたら、またしても夕立のような雨。かなり激しく降ってきたのでカフェに逃げ込んで雨宿り。どうも天気が不安定で困ったもんだ。しばらくしても止みそうにないので、再びメトロに乗ってシャンゼリゼの銀行でT.Cを両替。雨がすっかり止んで、こんどは強烈な暑さだ。一日で目まぐるしく変わる天気に体がついていけない。ヴァージン・メガ・ストアで少し涼んでから、一度ホテルに戻った。
毎日相当な距離を歩いて撮影しているので、少し疲れが出てきたのかもしれない。1時間ほどホテルのベッドで眠った。
7時すぎ、再びカメラを持って外出。パサージュ・パノラマ~ヴェルドーを抜けオペラ座近くまで撮影。8時を廻っているというのに強烈な太陽が照り付けている。パリに夏の強い光はやはりしっくりこない。
日が暮れて涼しくなってから、パレ・ロワイヤルの中庭に面した“Restrant du Theatre”で夕食。フォアグラ入りインゲンとレタスのサラダ、カルチョッフィ入りリゾット、デザートはブラックベリーのソルべ、エスプレッソ・コーヒー。どれもとてもおいしかった。
今日は日中体調が悪かったが、おいしいものを食べて少し元気が出た。涼しくなった夜道を歩いてホテルに帰る。パリはいま街中が日本食レストランだらけ、といってもほとんどが中国人が経営しているまがいモノで、“スシハウス”の看板が“スンハウス”になっていたりする。日本人の板前さんが、あんなものが日本料理と思われては困ると嘆いているそうだ。
# by tatsuokotaki | 2005-07-28 23:12

ベルサイユ宮殿の庭     2005年7月27日(水)

今日はサン・ミッシェルのカフェ・デパールで木立さんと待ち合わせして、一緒にベルサイユに行った。ぼくは20年以上フランスに通っているのに、お恥ずかしいことにまだ一度もベルサイユ宮殿に行ったことがなく、アジェのセピア色した写真のベルサイユしか知らない。
サン・ミッシェルからRERに乗ろうとして地下に下りたら、ホームへの階段が塞がれていて「工事中のためアンバリッド始発」と貼り紙がしてある。連絡バスもあるらしいが、時間がもったいないので地上に出てタクシーでアンバリッド駅へ。
まったくフランスという国は、何事も思うように運ばない。そのうえベルサイユ行きの列車が、牛歩のごとくノロノロ運転ときている。それでもアンバリッド駅から30分弱でベルサイユに到着。世界文化遺産の観光地だけあって、さすがに人が多い。人の流れにまかせて15分程歩くとベルサイユの正門に到着。観光バスがたくさん停まっている。
観光客の大半は宮殿内に吸い込まれていくが、今日のぼく達が目指すのは、改修なった庭園の方。中に入ってまず、その広大な敷地にびっくり。遙か彼方の境界線すら見えない。宮殿前の花壇には、色とりどりの花が満開だ。でもその花の配色パターンが、庭中すべて一緒というのにもちょっと驚いた。イギリスの庭を見慣れているぼくには、色の組み合わせのセンスがいまひとつと思えたが、それよりこれだけ広大な花壇をうめつくすのに、どれほどの数の花苗がいるのか、そちらの方が気になった。
完全に左右対称に形成されたフランス式庭園は、「自然をも我が意のままにねじ伏せてやろう」的な権力意識が垣間見えて、無意味なほど広いの敷地も含め人間の限りない欲望の深さに想いを馳せてしまった。
今日もひと時激しい驟雨があったが、午後は陽が差してとても暑い一日だった。それでも閉園の8時近くになると人も疎らになって、涼しい風と共に庭園も別の表情を見せてくれた。
帰り際、わずかに薄れゆく太陽光線で眺めたオランジェリー庭園は、とても素晴らしかった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-27 00:55

今日もパサージュの撮影  2005年7月26日(火)

朝一番でサン・ジェルマンのドラゴン通りにあるarshe(レ・アールにもある、ぼくの大好きな靴屋さん)へ。ちょうどセールの最中で、秋の新作も含めぼくと娘の靴を2足づつ購入。ブラッスリー・リップでカフェ・オ・レを飲んでひと休みしてから、メトロでサン・ポールの“hotel du sully”の書籍売場へ。ロベール・ドアノーの写真集『PASSAGES』を捜しに行くが、だいぶ前に出た本なので在庫は無かった。サン・ポールのカフェで“百姓サラダ”で昼食。
靴を4足も持ち歩いているので一度ホテルにもどって、午後はパサージュの撮影に。
パサージュ・プラドから始めて、パリにいることを忘れそうなインド人街パサージュ・ブラディ、先日撮影出来なかったサン・ドニ通りのパサージュ・ポンソー、浅草橋のように生地問屋、モード関係の店ばかりが並ぶパサージュ・ケール(カイロ)。ここは1798年に建てられ、現存のパサージュの中では最古のものとか。ナポレオンがエジプトから凱旋した後、造られたそうだ。
今日最後の撮影地、パサージュ・グラン・セールからサン・ドニ通りに出たところで、また雨が降り出した。すごく疲れてしまったので、フォーラム・レ・アールの映画館(『血と骨』を上映中)に途中から入って熟睡。
映画はぜんぜん観なかった。ベトナム料理屋で生春巻きとエビ焼きそばを食べてホテルに帰る。疲れた…。
# by tatsuokotaki | 2005-07-26 01:20

サマリテーヌが閉鎖     2005年7月24日(日)

9時起床。窓の外は雨。昨夜、風邪をひいたかなと思ったが、どうやら大丈夫そうだ。テレビをつけたら、日本で大きな地震があったとニュースが報じている。渋谷の街の混乱が長々と映し出されているが、東京に大きな被害はなさそうだ。フランスでも日本の地震は、かなりの関心事になっているようだ。ホテルでゆっくり朝食をとって外に出たら、雨はほとんど止んでいた。 
今日は荷物を軽くして、再びパリを撮影。
歩調をきめて、なるべく疲れないようにゆっくりと歩く。歩く速度で街の見え方もまた違ってくるから不思議だ。ホテルからモンマルトル通りをひたすら南下して、レ・アールからセーヌの右岸へ。老舗デパート、サマリテーヌの屋上からパリの街並みを撮影するつもりだったが、辿り着いたら何とサマリテーヌが閉鎖されていた。6月15日に閉店したというが、建物が老朽化して消防法に触れる等々、様々な噂が飛びかっているらしい。
現在の所有者はLVMHグループ(日本人が大好きな鞄屋さんです)で、6年間改修のため閉鎖するそうだ。売り上げの40%を日本人が占めるというLVの現在のオーナー、フランスでは何かにつけあまり評判が良くないようだ。百貨店をやめて、高級ホテルに改装するなどという話もあるらしい。この建物の内部の、アール・ヌーボー様式の吹き抜けはとても見事なものです。
ポン・ヌフを渡って(こちらも部分的に修復中)リュクサンブール公園まで、ホテルから約2時間歩いた。ちょうどお昼の時間になったので、公園の前のブラッスリーで昼食。
ルッコラ、生ハム、モッツァレラ・チーズ、ドライ・フルーツ入りのサラダと、パンに何かの種(何だか正体が分からなかったが)をペーストにしてぬったもの、お酒はお医者さんにとめられているので飲み物はペリエ。食後にエスプレッソ・コーヒー。
食事をすませてリュクサンブール公園に入ったらまた雨がパラつき始める。今回のパリは天気が不安定で、一日のうち必ず一度は雨が落ちてくる。公園を横切って、洒落た店が並ぶババン通りをぬけ、モンパルナス墓地へ。ここは、あまり大っぴらに写真を撮っていると注意されるので、慎ましく墓地をひとまわりして撮影。
天気が悪く、光も良くないので今日の撮影はここで打ち切ることにする。メトロでレ・アールに戻って、フォーラム・レ・アールでウインドゥ・ショッピングでもと思ったのだが、スターバックス・コーヒーとマクドナルドを除いて、店が全部閉まっている。以前は日曜も開いていたのに。しかたがないので再び地上に出て、モントルグイユ通りを散歩する。
レ・アールが昔パリの中央市場だった名残で、この通りには老舗の食料品店がたくさん並んでいて楽しい。カフェに入ってコーヒーを飲みながらツール・ド・フランスのテレビ中継を観ていたら、日本のTさんから携帯に電話が入る。出かける前に脳の検査等で大騒ぎしてしまったので、心配して電話してくれたようだ。
カフェで休んで、Tさんとしばらくおしゃべりしたらまた元気が出たので、もうひと歩きすることに。
雨もどうやら止んだようだ。
サン・ドニ門を潜って、サン・ドニ通りを再び南へ下る。ここは昔から有名な売春街で、昼間から通りの両側に、胸もあらわなオネーさん達(日本のK姉妹を思い描いていただくと、かなりそれに近い)が立っている。でもどうしたことか以前より人数が少なく、ほとんどが年増のおばさんばかり。昔は若くてすごく可愛い子が、真冬だというのにほとんど裸に近いような格好で立っていた。木立さんに聞いたら、いまはブローニュやバンセーヌの森に本拠地が移っているとか。ブローニュは昔は確かホモの巣だったような記憶があるが、今は何でもありみたいだ。ホモ同志の殺人事件があったそうで、夜は物騒だそうだ。
サンドニ通りに面して、パサージュ・ブラディ、ケール、グラン・セールがあるが、今日は日曜日なので入り口の鉄扉が閉まっていて撮影は出来ず。
 夕方、再びレ・アールに戻って中華料理屋さんで食事して、八百屋でメロンを買ってホテルへ帰る。今日は良く歩いた。荷物を軽くしたのは大正解だった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-24 02:39

パリとの対峙         2005年7月23日(土)

8時起床。今日からパリの街の撮影だ。今回のパリでの撮影テーマはいくつか決めてきたが、正味7日間しかないので、果たしてどうなることやら。
まずは歩いてホテルに程近いパサージュ・ジュフロアへ。パサージュとは、日本でいうところの屋根付き商店街で、18世紀末から19世紀半ばにかけてパリに70余りが建設された(現存は20ほど)。その多くは、ぼくが今回宿泊しているグラン・ブールバール周辺に存在する。パサージュ・ジュフロアには有名な“グレヴァン蝋人形館”などもあって、浅草仲見世通りのような活気と猥雑さがある。ところが朝早いせいかバカンス期のせいか、ほとんどの店が閉まっている。そのままヴェルドー~パノラマ~ショワズール~ギャルリー・ヴィヴィエンヌと廻ったがどこも同じようなもの。
初日から出鼻を挫かれ気分的には多少メゲるが、しかたがない。現場主義は写真の宿命だが、現場に行ったからといって、必ずしも写真がモノになるとは限らないからツライ。その点文章は多少の創作、あるいは捏造(文筆業の方ゴメンナサイ)ができるので羨ましく思うこともある。
しかたがないので予定を変更してもうひとつの撮影テーマである「パリの擬木」(コンクリートで作った樹木)を求めてメトロで左岸にある植物園へ。
新宿御苑に明治38年フランス製の日本で最初の擬木の橋がある(御苑を訪れるほとんどの人は気付かずに通り過ぎてしまうが)。100年前に出来たこの橋は、西洋の造園技術を学ぶためフランスを訪れた、宮内庁内苑局庭園設計技師市川之雄が現地で購入。3人のフランス人技師を呼んで造らせたもの。日本で擬木の資料を探したが全く見つからないので、一体何処が発祥やら分からないのだが、明治時代にフランスに存在したのは確かなので、パリで探してみようという訳だ。7日間の猶予では雲をつかむような話かもしれないが…。
植物園に併設された動物園の中で、幸いにも本物の樹木と見紛うばかりに大きな擬木をひとつだけ見つけ、撮影することが出来た。
撮影が思うようにいかないせいか、カメラバックがやけに重く感じる。体調が良くないので早めにホテルに帰ることに。悪寒がするので風邪をひいたのかもしれない。ホテルの部屋で薬を飲んで、早めにベッドに入る。
今日は気持ちばかりが先行して、撮影が思うようにいかなかった。街を撮影するのは予めセッティングされた仕事と違って、別の意味の集中力と緊張感が必要となる。明日は機材を少し軽くして、気持ちをもっとリラックスさせよう。
# by tatsuokotaki | 2005-07-23 22:11

多国籍ツアー最終日      2005年7月22日(金)

パリはとバスツアーもいよいよ最終日。今日は木立さんに急用が出来てしまったのでぼくだけが参加することに。バスでバスティーユ広場まで行って、アルスナル港からサン・マルタン運河を船でクルージング。地下を流れていた運河はバスティーユで地上に出て、鉄で出来た優雅なめがね橋の下をくぐって終点のヴィレットの船溜りへ至る。
セーヌとヴィレットは26mも水位差があるので、途中9つある水門で水位を調節しながら船はのんびりと進んで行く。マルセル・カルネの映画で有名な『北ホテル』を過ぎたあたりで、水門にトラブルが生じたらしく、30分ほど船内で足止めされた。どうやら水中で鎖が絡まって、水門が開かなかったようだ。
『HOTEL DU NORD』は『天井桟敷の人々』などでも知られるマルセル・カルネ1938年の作品。映画はスタジオのセットで撮られた様だが、原作の舞台となった北ホテルは前面だけ当時を再現しているが、現在はカフェ・ブラッスリーになっている。
運河廻りも無事終了。再びバスでパリ市内のマルシェ・サン・トノレへ。水門で待たされたこともあってお腹がペコペコだ。
りカルド・ボフィール設計の全面ガラス張りの建物を眺めながら、本ツアー最後の昼食。メニューはゴート・チーズとキューカンバーの前菜。メインはフォアグラ、がちょうのリエット、スモークしたがちょうのフィレ、鴨の骨付きの盛り合わせ。ぼくにはややヘビーだった。デザートは3種のアイスクリームにエスプレッソ・コーヒー。
3日間のツアーはここで終了で自由解散に。お疲れ様でした。それぞれが各国の参加者に別れを告げ、ぼくはバスでホテルまで送ってもらった。。
ホテルで撮影したフィルムを整理してから、まだ時間が早いのでメトロでレ・アールへ行く。大好きな靴屋“Arshe”をのぞいてから数軒先の“Plaques et Pots”へ。ここは昔から変わらぬ店構えのホーロー製品の店。パリの街の地番やメトロの駅名表示板、立ち入り禁止、駐車禁止などの大きなものからドアに付けるトイレの表示まで、ホーローで焼き付けたシャレたプレートが見つかる。10年以上前に買ったホーローの温度計をもう一つ買おうと思って行ったのだがもう作ってないという。残念!インテリアに使えそうな可愛いプレートをいくつか買って、優しそうな老夫婦に別れを告げ店を出た。
久しぶりにポンピドゥ・センターの広場に行ってみたが大道芸人は一人もいなかった。メトロでサン・ジェルマンに出て“PAUL”でチーズ・オムレツとバゲットで軽い夕食。お昼に食べた鴨がまだ尾を引いている。
さあ明日からパリを撮るぞー!
# by tatsuokotaki | 2005-07-22 23:38

ローラン・ギャロスとオトゥイユ温室庭園  2005年7月21日(木)

8時起床、ホテルで朝食を済ませ今日もバスツアーへ。ブローニュの森を抜け、テニス好きの聖地(なのかな?)ローラン・ギャロスへ。テニス博物館と伊達公子さんも活躍したというテニスコートを見学。ぼくはテニス(というか運動そのもの)に全く興味がないので、ガイドさんには申訳なかったが解説はほとんど上の空で、ブローニュの森から吹いてくる爽やかな風と真っ青に澄んだ空を満喫させてもらった。
実は中学生の時、興味半分でテニスクラブに入ったことがあるのだが、球がまったく思う方向に飛んでくれないので一日でやめた経験がある。
ローラン・ギャロス内のレストランで昼食の後は、隣接するオトゥイユ温室庭園へ。イギリスのキュー・ガーデンなどに較べるとはるかに規模は小さいが、建物はアール・デコ様式でなかなか趣がある。パリの中心部は建物はもとより、街全体が石で囲まれているので、緑の中に身をおくとやはりホッとする。今日は天気も良く、午後になって急に温度があがって日本の夏のような暑さ。
夕方、といっても夏のパリの太陽はまだまだ天空高くにあるのだが、セーヌ河畔の「パリ・プラージュ」へ移動。何のことかと思いきや、セーヌ河畔の自動車道路を閉鎖して、巨額の資金を投じて日本でいうところの歩行者天国をセーヌ河畔で行っている。パラソルを立てた模擬店なども出ているのだが、橋の上から見ただけでつまらなそうなのでパスすることに。バカンスに行けないパリジャンのためにせめて“セーヌ河畔を開放して日光浴を”等々、数多のうたい文句はあるようだが観光客を含め評判はイマイチのようだ。7時半にホテル集合とのことなので、木立さんとサンルイ島のカフェでのんびりとお茶を飲んで過ごす。
夕食はツアー・メンバー全員でシャンゼリゼのレストラン“ル・ノートル”へ。シャンゼりゼは開催中のツール・ド・フランスのゴールの為の客席作りの真っ最中だった。
“ル・ノートル”の庭に面したテーブルで、ぼくのうしろの席の不思議な3人組(男2人と女1人)の奇妙キテレツな行動を木立さんと横目で眺めながら食事する。この3人組、並んで座った男女は明らかに恋人同士なのだが、向かいに座った男性の前で食事しながら異常なほどの大胆さでイチャついている。男性一人の方は背を向けていたので残念ながら表情が見えなかったが、当然のごとく周囲は異様な雰囲気に包まれていた。この3人、目一杯正装しているのだが、この上なく田舎くさいのでよけいに人目をひいた。あまりに激しいイチャつきようにぼくも木立さんも呆気に取られ、ある種の変態では?との結論に達した。陽が落ちたせいか、あたりは寒いくらい涼しくなった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-21 23:41

パリ到着            2005年7月20日(水)

フランス時間午前4時15分、シャルル・ドゴール空港着。こんな朝早くパリに着いたのは始めてだ。機内でよく寝たし、ぼくは普段でも明け方まで起きているのでそれほど苦にはならない。道路はガラガラだし、パリ市内まで渋滞もなく、タクシーでグラン・ブールバールのホテルに実にスムースにチェック・インすることが出来た。
今回の仕事はパリ市観光会議局による「多国籍プレス・ツアー」と称し、各国からジャーナリストを集め、2泊3日のいってみれば“パリはとバスツアー”をしようというもの。
参加国はイギリス、ドイツ、スイス、ベルギー、ロシア、インド、タイ、スペインそして日本からはぼくとパリ在住のジャーナリスト木立玲子さんが参加する。木立さんは古い友人だが、以前は国営ラジオ・フランスで仕事をしていて、ぼくがパリ在住の日本人の中でいちばん信頼しているジャーナリストだ。現在はフリーで毎日新聞日曜版に『欧州的成熟ライフ』と題するエッセイなどを連載中だ。
今回のツアーの訪問先は主催者任せなので、仕事そのものは実に気楽なもの。ぼくはこの仕事の後、一週間ほど残って久しぶりにパリの街の撮影をするつもりだ。午後の集合時間までだいぶ時間があるので一眠りすることに。
1時過ぎ、ホテルにやって来た木立さんと近くのブラッスリーで昼食。一年ぶりの再会だ。パリはとても涼しくて高原にいるような爽やかさ。
3時にホテルのロビーに各国の参加者が集合していよいよバスツアーの始まり。今日はパリ郊外のシュレーヌにあるワイナリーの見学。小高い丘の上の葡萄畑からは遠くエッフェル塔やパリの街並みが見渡せる。モンマルトルの“ラパン・アジル”の前にも小さな葡萄畑があるが、パリからこんなに近い場所でワインが獲れるというところが主催者のいわんとするところらしい。まだ5~60年のワイナリーで生産量も限られているので、地元のスーパー・マーケットに卸すのが精一杯だとか。一本8ユーロというからまあごく大衆的地酒といったところでしょうか。
ワイナリー見学の後は、パリ市内にもどって、再開発された”ベルシー・ヴィレッジ”(もとは各地のワインの集積所、及び貯蔵庫)でフランス各地のワインを試飲しながら夕食。
早朝から夜まで実に長~い一日だった。
# by tatsuokotaki | 2005-07-20 23:09

あわただしいパリ出発       2005年7月19日(火)

一昨日の夜、両手に軽い痺れが出た。気になったので金沢の整体の先生に電話したら、すぐに検査するようにとのこと。19日からパリに行く旨告げると「脳からきてると怖いよ、体と仕事どっちが大事なんや」とおどかされる。
といっても運悪く明日は祭日。明後日の飛行機が夜の便なので検査をするにしても出発当日の日中しかない。たまたま先日親しい知人Kさんが脳の出血で、MRIの検査後即手術して大事にいたらなかった。Kさんの話では都内のMRI検査は予約制で当日行ってすぐ検査というのは難しいかもしれないとのこと。困り果てて水戸の友人T先生に電話した。
翌朝T先生から早速電話をいただいて、水戸の先の常陸太田にある友人の脳神経科で朝一番に検査してくれるとのこと。常陸太田にはぼくの姉が嫁いでいるので何度も行ったことがある。
MRIの検査は一時間ほどで終わって、幸いにも脳には異常はみられないとのこと。帰国してから再度頚椎のCTをとりましょうということで一安心。
せっかくなので姉のところにちょっと顔を出して、東京にとんぼがえり。青山にあるエール・フランス本社へ。
うっかりしていてカメラ機材等の重量オーバーのエクセス許可をとり忘れていたので、別チケットを出してもらった。
何とも慌しい一日だったが、どうやら成田発21:55のAF277便に飛び乗って一路パリへ。夜の便なのに結構混んでいたが、3席分もらったので横になってパリまでぐっすり寝た。
# by tatsuokotaki | 2005-07-20 15:15

梅雨が明けた           2005年7月18日(月)

梅雨が明けたと思ったら突然すごい暑さ。外に出ると太陽熱で頭がクラクラする。7月23日から始まる「ねむの木とまり子展」の準備がいよいよ今日から始まった。宮城さんから「ガラスの作品観てね」と以前からいわれていたので、お昼から木場の東京都現代美術館に出かけた。 
会場が思っていたより遥かに広いスペースで、かなり見応えのある展覧会になりそうだ。子供達の絵はまだ3分の1くらいしか箱から出ていなかったが、宮城さんが作ったガラスの大作を見せていただいた。ステンド・グラスのように窓に嵌め込める『オスロの霧』と題された作品がすごく面白かった。あまりに会場が広くて展示が大変そうだ。
宮城さんと2時間程会場を廻って、明日からのパリ行きの支度があるので失礼することに。お餞別にと、宮城さんから360円の時代に変えたという“貴重な”ドルを沢山頂いてしまった。ドルの現金を抱えて昔ニューヨークにお芝居の権利を買いに行ったそうだ。
パリも30度の暑さとか。という訳で『気紛れ日記』はさらに気紛れになってしばらくお休みします。帰ったらまたパリの話など書きたいと思います。皆さんもよい夏休みを!
ぼくのパリ行きは仕事です(念のため)。
# by tatsuokotaki | 2005-07-18 23:23

蜘蛛と鳥瞰        2005年5月31日(火)

5月の連休に取材の約束をしていた七里バラ園の撮影で、昨日から伊豆に来ている。昨日はあいにく一日雨だったので、室内でバラジャムと花びらの砂糖菓子作りを撮影した。
どちらも見ている間に出来上がってしまうのだが、食用にするために無農薬でバラを育てるまでの苦労が大変だ。カゴいっぱいのバラの花びらが、ジャムにすると小さなひと壜になってしまう。
今日は“B”誌のY編集長も合流してバラが満開の庭を撮影したり、七里夫妻の無農薬バラ作りのお話を伺った。7年物のバラのリキュールを飲ませてもらったが、これは絶品だった。
取材の後Yさんと共に、ぼくがいつも泊めて頂いている宿“ブルー・イン・グリーン”に戻って、コーヒーを飲みながら君島さんとしばらく話をした。
電車で帰京するYさんを下田まで送ってから、河内温泉金谷旅館に寄って温泉に入った。今日は午後から夏のような日差しが照りつけて、とても暑い一日だった。
露天風呂でいつものように寝転んでいると、頭上で蜘蛛が巣作りをしていた。夕暮れ時のグレーの空を背景にすると、糸が見えないので蜘蛛が空中で奇妙なダンスをくりかえしているようだった。蜘蛛からはぼくがどんな風に見えるのだろう。
先ほど君島さんと今年の夏、伊豆の海でシュノーケリングを教えてもらう話をしていたら、「海に浮かんで遥か下の海底の魚を眺めていると、自分がまるで鳥になったような気がする」と彼が言っていた。
蜘蛛から鳥瞰するぼくは、海底の魚みたいなのだろうか。
# by tatsuokotaki | 2005-06-01 23:45

七里バラ園        2005年5月6日(金)

今日は伊豆から東京に帰る日だ。朝食の後、宿の君島氏に案内して頂いて、R氏(映画『スパイ・ゾルゲ』の脚本を手がけたイギリス人ジャーナリストだが、先日のインドネシアの津波に巻き込まれて亡くなった)の別荘を見に行った。道路から少し入っただけなのに、目の前の海の眺めは絶景だ。こんな素晴らしい海を眺めて暮らしていた人が、たまたま出かけた旅先の海で、それもめったに起こりえない天災にあって亡くなってしまうとは…。人の運命とは何と儚く、不思議なものかとつくづく考えさせられた。
blue in greenに戻って君島夫妻と1時間ほど話しをしてから、市ノ瀬部落にある七里バラ園に行った。このバラ園は知る人ぞ知るといった存在だが、主人の七里静夫氏(61歳)が長年試行錯誤を重ねながら、完全無農薬でバラを栽培している。
どくだみ、ヨモギ、シロツメ草、ウコンなどの植物抽出液に唐辛子、木酢液、焼酎などを加え、果てはカスピ海ヨーグルトから納豆までと、話を聞いていると「何でもありか?」みたいなオリジナルの防虫液を考案して見事なバラを咲かせている。
アブラムシを食べてくれるてんとう虫もいるわけだから、殺虫ではなくあくまで防虫を目的に、自然のサイクルを最大限活用しながら植物を育てるという考えは、とても共感するものがあった。
実は昨年、あるバラ園の撮影に行った際、開園前の凄まじい農薬散布の現場を目撃してしまった。建物の屋上から園の全景を撮影していたぼくは、大げさでなくある種の危機感を覚えた。なぜならその10分後には観光バスが到着し、多くの観光客が鼻をすり寄せんばかりにバラの香りを嗅いでいたからだ。
これではバラの香りどころか、農薬を胸一杯吸い込んでいることになる。農薬は大地に浸透し川に流れ込み、結果海をも汚染することになる。
七里バラ園も嘗ては農薬を使用して大輪のバラをたくさん咲かせていたという。奥さんの話では、「そのころはバラの季節になると行列ができるほどお客さんが来たものです。でも無農薬を始めてからは本当にバラを愛し、自分達のバラ造りを理解してくれるお客さんとゆっくり話しができる時間もできて、とても幸せです」とのことだった。奥さんの作るバラジャムや花びらの砂糖菓子は、勿論一切薬品は使用していない。お話を聞いている間、バラジャム入りのヨーグルトや、カモミールとレモンバームのハーブ・ティーを出して頂いたがどれもとてもおいしかった。
ご主人静夫氏のキャラクターがこれまた実にユニークで、風貌はまさに俳優の柄本明といった感じ。30年前に横浜から伊豆に移り住んだ脱サラだそうだが、山でイノシシと遭遇し、素手で戦って捕らえたなどの武勇伝もある。まむしには年に数回遭遇するし、蜂に刺されたのは数え切れないくらい「この仕事はまさに命がけですわ」とのこと。無農薬バラ栽培の話を今度雑誌で取材させて頂く約束をしてバラ園を後にした。
# by tatsuokotaki | 2005-05-10 01:58

ちょっと得した一日       2005年5月5日(木)

朝食の後、一足早く帰宅するTさん家族を見送ってから、blue in greenの二階の海の見えるテーブルで連休明けに〆切の原稿書き。パソコンに向かっていると、東京での疲れがドッと出てきて、いたたまれずに部屋に戻って何年ぶりかで昼寝する。今日は泊り客はぼく一人なので、好き勝手にさせてもらう。
夕方から一人で下田の河内温泉、金谷旅館の千人風呂へ行く。プールのような檜の浴槽からは、相変らず熱い源泉が溢れていて気持ちが良い。のぼせてきたので露天風呂の檜の湯船の縁で寝転んでいたら、近くで女性の声がするのでギョっとして起きると若い女性が入っていた。ここは混浴か!?
知らなかったが千人風呂の隅に小さな木戸があって、女性のお風呂からは出入り自由になっていた。宿に戻って君島氏にその話をしたら、「良かったじゃなーい」といわれる。そりゃその通りですが、ちょっと驚きました。混浴でオバチャンと一緒になったことはあるけど、若い女性は始めてだった。でも何だかちょっと得したような一日でした。
夜は再び蛙の鳴き声を聞きながら、午前1時過ぎまで原稿書きをした。
# by tatsuokotaki | 2005-05-10 01:24

南伊豆の休日     2005年5月4日(水)

連休はどうしようと思っていたところに、水戸のTさんから伊豆に行きませんかとの電話があった。ぼくは3日は丸の内仲通りの“フラワー・ギャラリー2005”の撮影があったので、それを終えてから出かけることにした。
撮影が思ったより長引いてしまったが、夕方ウサギのミミ公を四谷のペット・ホテルに預けて伊豆に向かった。
宿はお正月にも泊めて頂いた、南伊豆の子浦にあるblue in green。夜遅く到着したぼくを、Tさんがシャンパンで歓迎してくれた。宿の君島氏も交えて夜1時過ぎまでおしゃべりした。
翌4日は画家の井上公三氏のアトリエで、2年越しで完成したという椿の連作を観せて頂いた。アトリエに並べた大作5点は圧巻だった。
お昼はTさんのご家族(美人の奥様と可愛い2人のお嬢さん)と、松崎の“プロヴァンス・ド・すずき”で鴨料理のコース・ランチを摂って、町営のお花畑で花摘みをした。ここは無料の上、温泉の足湯もあってなかなかの人気。
午後は一度宿に戻ってから、子浦漁港の岸壁に釣りに出かけた。釣果は小魚一匹釣れないという悲惨なものだったが、のんびり楽しい時間を過ごすことができた。
夜はいつものように君島氏の美味しい料理でワインを飲んだ。旬の筍が美味だった。
# by tatsuokotaki | 2005-05-09 15:35

ぼくの学生時代     2005年4月27日(水)

今日は午後から、以前平凡社にいたWさんと雑誌のグラビア用の写真のセレクトをした。Wさんとは平凡社の雑誌『太陽』のイギリス取材で一緒に旅をしたことがある。惜しくも廃刊になってしまった『太陽』は、写真学生だった頃のぼくにとっては憧れの雑誌だった。
当時ぼくが通っていた東京造形大学の写真科には、石元泰博氏を中心に、大辻清司、東松照明、高梨豊、奈良原一高氏等そうそうたる写真家が教えに来ていて、雑誌『太陽』は彼等の写真家としての活躍の場でもあった。ぼくは『太陽』が廃刊になる寸前にすべりこみセーフで仕事ができたことになる。 
当時の造形大学は、デザイナーの杉浦康平、勝見勝、木村恒久、勝井三雄、建築家の磯崎新、彫刻家の佐藤忠良氏等々、今振り返ると考えられないような多くの巨匠が専科の講義を受け持っていた。ぼくは後年、仕事をご一緒させていただくことになる蓮実重彦氏の授業をマン・ツー・マンで受けたこともある。その時は、ぼくが沖縄で撮ってきた写真を、蓮実氏が一枚一枚丁寧に見てくれた。
当時の造形大学は高尾の山の中の八王子城址という所にあった。小さな沢をまたぐように建てられた浦辺鎮太郎氏設計の校舎は、中央が大きな吹き抜けになっていて、なかなか風情のある建物だった。
ぼくは東京造形大学の3期生なので、入学時は必然的に4年生はいなかった。でもぼくの入学当初の第一印象は、なんでこんなアクの強い奴ばかりが集まったのだろうという酷いものだった。おそらくぼくも、他の学生からはそう思われていたに違いないが。
写真科が一学年15名程度の少人数制だったので、上級生とは全員お友達という雰囲気だった。
ある日、校舎の吹き抜け部分にロープを渡して、写真科の上級生が綱渡りをしたことがある。25m程の距離を一人目のH君は猿の如くなんなく渡ってみせた。それに続いたのが負けず嫌いのE君だった。ところが3分の2くらいまで行った所で手がいうことをきかなくなってしまい、ザイル!ザイル!などと叫んでいる間もなく、E君はバンザイ状態のまま真っ直ぐ落下していった。校舎は3階建てだが、谷底状の沢をまたいでいるので実質的には5階くらいの高さはあったかもしれない。E君は墜落のショックで気を失い、救急車で八王子の病院へ運ばれた。
ぼくを含めた数人が落下したE君を3階の窓から見ていたのだが、沢の斜面に横たわるE君のズボンの内側の太もも部分が大きく裂けていて、ショックの大きさを物語っているようだった。全員がE君の容態を案じて病院からの知らせを待った。
数時間後、学生ホールに行くと病院に行ったはずの学生がいつの間にか戻っていて、タバコを吸いながら寛いでいるではないか。すかさず容態を聞くと「あの野郎、病室で口笛ふいてやがった」と怒っている。ズボンは最初から破けていたそうだ。
おそらく沢の斜面の土が柔らかく、クッションの役目をしたのだろう。それまで心配していたぼく達も急に馬鹿らしくなって、その場は急にしらけたムードになって一件落着した。
E君は後年、自殺して亡くなった。
# by tatsuokotaki | 2005-04-29 06:43

『サボテンの花』       2005年4月14日(木)

このところ『サボテンの花』(そう、昔のチューリップの曲)を毎日のように聴いている。
チューリップというバンドはもちろん以前から知っていたが、実は全く興味がなくてまともに聴いたことがなかった。
先日、TVで深夜の明石家さんまのトーク番組を観ていたら、財津和夫が出ていて『サボテンの花』をアコースティック・ギター一本で弾き語りしていた。それがスゴク良くて、すっかり財津和夫ファンになってしまった。さっそく昔のチューリップのCDを手に入れた。チューリップの他の曲は、あまり好きじゃないけど『サボテンの花』はなかなかの名曲です!財津和夫があらためてソロでレコーディングして(絶対にアコーステック・バージョンで)出したら売れると思うけど如何なものでしょう?

あとで知ったことだが『サボテンの花』は3バージョンあった。一つめはチューリップの演奏、他の二つは財津和夫のソロで、ぼくはオフ・コースの鈴木康博がアレンジしているアコースティック・バージョンがいちばん好きだ。
# by tatsuokotaki | 2005-04-15 01:21

ありがとう        2005年4月10日(日)

ホーム・ページを開設してから、たくさんの方からメールをいただくようになった。なかには心あたたまる励ましのメールなどもあって、この場をかりてお礼を申し上げます。
昨日は中学1年生の男の子から、「小瀧さんの写真を見て感動しました。どうしたら写真家になれますか」といったメールが届いた。こういうのは何だかとてもうれしい。
ご主人を亡くしたばかりの女性から、ぼくの1枚の写真を見て「心から泣くことができました」というメールをいただいたこともある。
ぼくは別に世の中のため、人のためと思って写真を撮っているわけではない。でも、ステキな文章を読んだり音楽を聴いて自分が救われることがあるように、ぼくの写真が結果的に何かの、誰かの役に立てたとしたら、これはとてもうれしい。
ぼくもいろいろな問題をかかえて生きているけれど、みなさんも自分を大切にしてください。
若い頃は目上の人がホメてくれるけど、大人になるにつれて誰もホメてくれなくなる。大人になったら、頑張ったときは自分で自分をホメてあげて、自分を好きになるような生き方をしないと…と心がけている。
# by tatsuokotaki | 2005-04-10 04:10

フォーエバー・ヤング     2005年4月9日(土)

日本人は海外に行ったりすると往々に、実際の年齢よりも若くみられるようだ。ぼくもご多分にもれずで、日本にいても歳相応にみられることがあまりない。
時々郊外の大型園芸店などで地面に花の鉢をたくさん並べて配色など考えていると、買物に来た御婦人に「ちょっとお兄さんこれいくら?」とか聞かれたりする。最初の頃はクサッていたのだが、ある日ガーデニング誌『BISES』編集長の八木さんにその話をしたら「あら、それってステキなことじゃない」といわれ、それもそうかなと素直に納得した。
10年以上前、ロンドンのハイド・パークを散歩していて、若い男性ガーデナーが咲き終わった小さな花弁を丹念に摘み取っているのを見て妙に感動したことがあった。
塩野七生さんは「日本の男はどうしてもっと自然に女性に花をプレゼントできないのかしら」と言っていたが、最近は花屋さんで若い男性をみかけることも多くなった。パリやロンドンでは、花束を抱えて帰宅する男性は日常的に見かける風景だけれど。
話を年齢のことに戻そう。
ぼくは常々、権威的なジジイにだけはなるまいと自分で心がけている。昔、パリから日本に戻る飛行機で、画家の菅井汲さんを見かけたことがある。一見パリのカフェで見かける労働者といった雰囲気なのだが、セーターにさりげなくマフラーを巻いたジーンズ姿が実にカッコよかった。
あんな歳のとり方が出来たら最高だと思っている。
# by tatsuokotaki | 2005-04-09 03:09

抗鬱剤とストリップティーズ   2005年4月6日(水)

先週末、府中のS病院で処方してもらった抗鬱剤が合わなくて3日程最悪な気分だ。先生に電話して、薬を飲むのはとりあえずやめたが、月、火と打合せで人に会っている間もすごく気分が落ち込んでいた。
今日は朝一度起きて部屋を掃除してから、再びベッドに横になった。
ベッドの中で友人のカメラマンT君に電話して彼の友人の鬱の話など聞いた。「何か気晴らしでもしといでよ」とT君に励まされる。
夕方から外出。浅草のヨシカミで食事してから、8時過ぎからロック座に入って終演までストリップを観た。特別出演の白鳥さくらちゃんが、コンピューター・グラフィックスで作り上げたサイボーグ美少女の様―顔は小さくて小柄だけどオッパイはとても大きい―。
舞台に一番近い袖で観ていたら、時々踊り子さんに間近で悩ましい目で見つめられたりしてけっこうドキドキした。でも文字通り“裸一貫”で生きている彼女たちは見ていて清々しくて、すこし元気をもらった気がした。
# by tatsuokotaki | 2005-04-08 00:19

失われた時間ーパリー    2005年3月30日(水)

森山大道氏の『犬の記憶』(河出文庫)の中の“パリ”の話を読み返していて、思わず自分のパリ体験を重ねてしまった。森山氏が私設ギャラリーの開設を思いたってパリに居をかまえたのは1988年。ぼくのパリ初体験は少し遡る1979年の春の事だった。30歳の誕生日をわずかに過ぎた、年齢的には“遅れてきたパリ体験”だったかもしれない。
当時親しかった写真家のH氏がしばらくパリに住むことになって、彼をたずねるかたちでそれは実現した。それまで、結構日本に拘ってきた30歳の写真家(ぼくのこと)がパリで受けたカルチャー・ショックはそれ相当に大きなものだった。
森山氏がギャラリー開設に苦戦したように、フランス人社会は、ふらりとやって来た外国人に対して決して容易くなかった。僕自身のパリ生活も多分にほろ苦く、楽しみより苦渋の日々の方が多かったような気がする。そんな中で、ぼくの最初の写真集『巴里の大道芸人』(求龍堂)は生まれた。

パリを訪れたエトランジェたちがパリを去る前に一度は このモンマルトルの丘からパリの町を眺める。 ―中略― この町に生まれなかったのを悔やむような羨望の気持で眺め続ける。 そして、いろいろあったけれど、…やはりパリに「ありがとう」と心で告げる。
亡くなった堀内誠一氏の著書『パリからの旅』より。
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# by tatsuokotaki | 2005-03-31 00:09

山本鼎と農民美術         2005年3月11日(金)

昨日は群馬県松井田町で、自生の福寿草を撮影して小諸の中棚荘に泊まった。季節外なので林檎風呂ではなかったが、いつものように星を眺めながら入る露天風呂は最高に気持ちが良かった。
11時に中棚荘を出て、懐古園前にある“べにや民芸店”の二階でコーヒーを飲む。顔見知りのご主人としばらく世間話をしたあと、地元の陶芸家の作品を数点購入。
その後、久しぶりに上田へ行ってみることに。小諸は新幹線が止まらなかったせいか寂れる一方と、“べにや民芸店”のご主人が嘆いていたが、上田は別所温泉への中継地ということもあり、そこそこ活気がある。刀屋で天ざるそばで昼食。おそばの量が多く(たぶん神田やぶそばの5~6倍はある)びっくりする。味は極めて普通。上田から別所温泉は、25年前に『銀花』という雑誌の撮影で来たことがあって、その時取材したアライ工芸を訪ねてみた。上田は画家の山本鼎が、大正末にフランス留学帰りにロシアで見た農民美術を農閑期のお百姓さんたちに広めようと、農民美術運動を興した場所でもある。アライ工芸の二階には、農民美術の後継者の一人であった荒井貞雄氏の1920年代からの作品が残っていて、改めて見せていただいた。白樺や朴を素材にした木彫りの作品は、ロシアと日本が融合したなかなか魅力的なものばかり。ピノキオの顔をモチーフにした帽子掛けや魚の図案の木製の電気の傘など、日常使えるものが多い。残念ながら現在作られているものは僅か数点しかなく、ぼくが気に入って20年以上も使っている鳩の砂糖壷の作者、春原要(スノハラカナメ)氏も数日前亡くなったとか。アライ工芸にあった春原作品を数点譲ってもらう。
せっかくなので市内にある山本鼎記念館をひとまわりして、元呉服店の民家を改造したというコーヒー屋さん“森文”へ行く。
声を掛けても誰も出てこないので、勝手に座敷にあがってCDを次々とかけまくって待つこと30分。近くの酒屋のご主人が心配して大声で奥に声をかけてくれた。
しばらくして若い店主がねぼけた顔をして出てきた。寝てたみたい…。
入れてくれたコーヒーはとてもおいしかった。
通りに出たらお隣も民家を改装した何やらおいしそうな」パン屋さんなので入ってみた。東京にも店がある“ルヴァン”という天然酵母パンの支店とか。焼きたてのパンをかじりながら東京に向けて車を走らせた。
# by tatsuokotaki | 2005-03-15 03:17

 駐車違反         2005年3月9日(水)

夕方、銀座のHMV前で久しぶりに熊本の友人のOさんと待ち合わせ。人形町の来福亭で食事する。人形町には日本家屋で昔ながらの洋食を食べさせる有名店があるが、味は来福亭の方が遥かにウマイ。
こちらは小さな店なので、テレビで紹介されて常連さんに迷惑をかけてはと、一切マスコミに登場しない。今どきめずらしく節操のある店なのだ。
ポタージュ・スープ、コロッケ、エビフライ、オムライスと何をとっても美味しいが、ここのキャベツの千切りは天下一品だ。何でもコツはキャベツの繊維にそって、刻む方向があるそうだ。
久しぶりにOさんとお会いして話が長くなり、お腹も一杯で店の近くに停めておいた車に戻ったら、何とドアミラーにしっかりと駐車違反のタグが。大きな声ではいえないが、交通違反の点数が現在8点(スピード違反2回に駐車違反1回)。それが今月の25日で消えるはずだった。一年間違反も無く実に模範的な運転をしてきたというのに。
刑期を終えて出所をひかえた囚人が、間際になって「アナタもう一年ね」と言い渡されたらこんな気分だろうか。でも違反をしたぼくが間違いなく悪い。
水天宮下の交番に行ったら、おまわりさんが実に低姿勢で「このあたりは最近事件が少なくて暇なもんで」とさかんに言い訳され、こちらのほうが恐縮してしまった。
まあ神様が「もう一年違反をせず、安全運転をしなさい」ということでしょう。でも人形町は駐車場が少ないんだよな―。
# by tatsuokotaki | 2005-03-15 01:11

山谷の「カフェ・バッハ」       2005年3月6日(日)

昨夜は徹夜で仕事をしたので、朝10時にベッドに入って午後3時に起床。御茶ノ水の丸善で文具など買物してから、雑誌で見た山谷の「カフェ・バッハ」へ行ってみた。浅草で信号待ちをしながら神谷バーの建物の丸窓の明かりが美しいなーと思った。
浅草界隈はぼくのテリトリーだが「カフェ・バッハ」は知らなかった。昔は新宿の「青蛾」や「風月堂」、神保町の「きゃんどる」「李白」(こちらは健在)、本郷の「ルオー」など好きなカフェがあったが、次々と姿を消してしまった。東京にも京都の「イノダコーヒ」のような店があったらいいなと思う。
「イノダコーヒ」はまさにヨーロッパのカフェを思わせる店で、朝早く行くと近所のダンナ衆が新聞を読みながら、仕事前の一杯のコーヒーを楽しんでいる。観光客も来るが、地元の人達の生活にしっかり根付いているところが好きだ。
「カフェ・バッハ」はフレンチ・レストランのシェフ、アラン・デュカス氏がお気に入りとか。混んでいたのでコーヒーを一杯飲んで、豆を2種類ほど買って店を出た。
東京駅八重洲口地下の「日山」でステーキ用の肉とハム、PAULでパンを買って神田駿河台下のレンタルCD屋さんで綾小路きみまろ『交通安全漫談』のCDを借りた。
去年アメリカに仕事に行った際、高速道路で事故渋滞に遭遇しスタッフ全員クサリきっていた時、同行のk氏がおもむろに取り出したのが綾小路きみまろの漫談CDだった。その時、こんなCDが出ているのかと驚いたが何とベスト・セラーで、きみまろ氏は山梨に御殿のような家が建ったそうだ。昨今のお笑いブームは、暗い世相を反映しているのかもしれないが、笑って一時いやなことを忘れるのも一案かもしれない。
レジに行く際ちょっとハズカシかったので、Joni MitcellのCDに挟んで借りた。
# by tatsuokotaki | 2005-03-07 04:56

雨の一日             2005年2月16日(水)

未明に強い地震で目が覚めた。ついに大地震襲来かと、ベッドの中で半分起き上がったまま、じっとしていたらまもなく揺れが止んだ。テレビをつけたら震源地は茨城県南部とか。テレビ局の地震に対する臨戦態勢も相当素早くなっている。
再び眠りについてに9時起床。今日はモデルさんを連れて、箱根の芦ノ湖へ撮影に行く予定だったが朝から冷たい雨。撮影は延期することに。
ポストに新聞をとりにいったら、鎌倉の甘糟幸子さんから「梅の花が咲き始めました」とのお便り。甘糟さんとは鎌倉の花をテーマに、洒落た本を創る計画をしている。久しぶりに電話をしてしばらくおしゃべりする。現在、2月締め切りの短編小説に取り組んでいる最中とのこと。
雨なので午後は買物に出かける。本郷にあるスコス・ステーショナリーズ・カフェで、ドイツ製の筆記具やファイルなど購入。
神田の“竹むら”で粟ぜんざいを食べて、久しぶりに蕎麦屋の “まつや”を覗いたら、空いていたのでごまそばを注文して遅い昼食。
銀座に廻って新店舗が出来たレモン社で、八ッセルブラッド用のフィルターを買って帰宅した。
# by tatsuokotaki | 2005-02-17 00:10

二度目の七里川温泉        2005年2月13日(日)

写真のセレクトが朝の5時までかかったので、目が覚めたら12時を過ぎていた。
部屋の掃除を済ませて、セガフレードでカフェ・ラッテとパニー二で朝食。そのまま車で房総の七里川温泉へ向かう。館山自動車道の姉崎袖ヶ浦インターチェンジを出て、君津~久留里~亀山湖と、のどかな田園風景の中をドライブ。途中、地元のJAの直売所でイチゴや切花を買う。ウサギのミミ公のために、泥のついたままのニンジンも一袋。
七里川温泉は、昨年の暮れ房総に水仙の撮影に来た際偶然みつけたのだが、鄙びた風情が気に入って今回で2度目だ。何でも箱根の強羅と泉質が似ているそうで、加熱はしているが硫黄泉の掛け流しだ。前回と同じように浴室の窓を開け放って、遠くの山並みを眺めながらゆっくりと温泉に浸かる。今日は羽田に向かう飛行機が頭上を通過して行く。
となり町の大多喜から、一日おきにこの温泉に来ているという年配の男性に話しかけられた。先日山歩きをしていたら、白骨化した鹿に出会ったという。二本の角が頭蓋骨にしっかりと付いていて、何やらとても貴重な例だそうだ。鹿がいるのですか?と聞いたら鹿もイノシシもサルも沢山いますよとのこと。
一時間ほど温泉に入っていたら体中がポカポカ。脱衣場で裸で涼んでいるところへ、ミラノにいる娘から携帯に電話が入った。今年から始まる新国立劇場の演劇研修所の願書の件で話をした。
湯上りは前回来たときと同じく、炭火の入った囲炉裏で夕食。一夜干しの大きなイカと焼きおにぎりを自分で焼いて食べる。食事が1000円と入浴料が500円、しめて1500円という安さ!食事を済ませて外に出たら辺りは漆黒の闇。ユーミンの曲を聴きながら東京に向かった。
ひとりの静かで平和な日曜日だった。
# by tatsuokotaki | 2005-02-14 00:06

代官山から渋谷へ         2005年2月11日(金)

久しぶりに電車に乗って、代官山にあるログハウスの展示場へ行く。普段ほとんど車を使って移動しているので、切符を買うのにまごついてしまう。展示場をひとまわりして、係りの人の説明を受け、カタログをもらってから渋谷へ。
渋谷の街の人の多さには、いつものことながら恐怖感さえ覚えてしまう。東京に大地震が起きたら、この路上に溢れた人々は一体どうなってしまうのだろうなどど思いつつ、センター街をぬけシネパトスへ。マクドナルドのハンバーガーばかりを、30日間食べ続けたという記録映画『スーパーサイズ・ミー』を観る。感想は無い。1800円返せ!30日間も食べ続けなくともマクドナルドは体に良いと思わないし、子供にはぜったい食べさせたくない。
先日、井筒和幸監督の『パッチギ』を観たが、こちらは浮付いた韓流ブームに水を浴びせるような痛快さもあって、なかなか面白かった。ヒロインのキョンジャ役の沢尻エリカは、デビュー当時の烏丸せつ子を思わせる。
自宅のある御茶ノ水駅に着いて、聖橋を渡りながら人が少ない事にホッとした。
# by tatsuokotaki | 2005-02-12 03:13 | Trackback | Comments(0)

サイモン&ガーファンクル       2005年2月1日(火)

10時に家を出て、東名厚木から小田原厚木道路経由で二宮へ。
二宮町役場に車を駐車して、吾妻山公園へ菜の花の撮影に行った。雪を被った富士山を背景に、満開の菜の花が眩しいくらいに輝いている。
日本海側は大雪だそうで、山の上にある吾妻山公園も風が冷たい。相模湾が真っ青で、遠くに江ノ島も見える。
刻々と変化する富士山頂の雲の様子を見ながら、午後3時まで撮影。
体が冷えきってしまったので、箱根の天山で温泉に入って夕方帰路に就いた。
帰宅する前に銀座のHMVに寄って、発売されたばかりのサイモン&ガーファンクル『オールド・フレンズ/ライブ・オン・ステージ』のDVDとCDを購入。昨年行われた全米ツアーの、二ューヨークとニュージャージー公演を収録したものだ。
去年ナッシュビルに行った際、お世話になったM氏からS&Gのナッシュビル公演が素晴らしかったとの話を聞かされていて、ライブ映像が出るのを心待ちにしていた。全24曲にも及ぶ映像は見応えがある。
以前発売されたS&Gニューヨーク・セントラル・パークの公演はバック・バンドが前面に出すぎていて、全体のサウンド作りがイマイチ好きになれなかった。今回はポールの弾くアコースティック・ギターを中心に音創りがされていて、'97のMartin“OM42ポール・サイモン・シグネチャー・モデル”が実に良い音を出している。ポール・サイモンは相変らず神経質そうだが、彼の“永遠の少年”ぽい一面にはちょっと他人事でないシンパシーを感じるときがある。
# by tatsuokotaki | 2005-02-03 01:03

蝋梅(ロウバイ)の郷        2005年1月10日(月)

群馬県松井田町へ蝋梅(ロウバイ)の撮影に行った。去年は2月に来たが、今年は開花が早いので、ひと月早めてやって来た。予想通り蝋梅はすでに満開。
松井田町上細野高原には、30年前から地元農家の有志によって蝋梅が植えられ、現在その数一万本以上。近年“ろうばいの郷”として、広く知られるようになった。
中国原産の蝋梅は唐梅とも呼ばれ、蝋細工のごとき黄色い可憐な花が、ほのかな香りと共に早春を告げてくれる。
今日は成人の日でお休みなので、他県ナンバーの車もけっこう多い。天気は良いが上州名物のからっ風が冷たい。花をクローズ・アップで撮影する時、風の日は苦労する。レンズの絞りを深くすると、その分シャッター・スピードが遅くなり、花がブレてしまう。仕方がないので片手で花の咲いた枝を押さえながら撮影した。
約3時間の撮影を終えて、園内にある竹ハウス(竹を組んで建てた小屋)で休憩。去年は囲炉裏で焼いた下仁田葱を、農家のおじさんがごちそうしてくれたっけ。心身共に極度に落ち込んでいた時で、「これを食えば風邪もひかないし元気になるよ」というおじさんの気持ちが嬉しかった。
今年も竹ハウスでは、農家の人たちが農産物やお花、漬物などを並べている。下仁田葱をたくさん入れたキツネうどんとおにぎりで昼食。デザートは同じく園内にある炭焼き小屋で焼いた熱々の焼きイモ。心まで温かくなって、今夜の宿、小諸の中棚荘へ。
中棚荘は去年も泊まったが、林檎を浮かべた温泉が最高に気持ちいい。料理もおいしいし、その上値段もとてもリーズナブルだ。
温泉に浮かんだ林檎で、ジャッグル(お手玉)をしている変な外人がいたので話しかけた。ロンドンから仕事でやって来たイギリス人で、成田からここに直行したという。温泉は最高にリラックスできるとのこと。そういえばイギリスには温泉ないもんなー。
露天風呂から、澄んだ夜空にきらきらと輝く冬の星座が見えた。
# by tatsuokotaki | 2005-01-12 19:27

井上公三氏のアトリエへ    2005年1月3日(月)

朝食を済ませT氏と二人で画家の井上公三氏のアトリエに行った。井上氏は夏はフランスのアトリエ、その他の季節は伊豆で仕事をしているそうだ。
現在アクリル絵の具を使った椿の連作5点の内、最後の一枚に取り組んでいるそうだ。お昼には奥様におしいお餅をごちそうになって、時計を見たらもう午後の2時。絵や写真、フランスの話など話題はつきないが、今日水戸へ帰るT氏の支度もあるのでおいとますることにした。
宿に戻って帰宅するT氏を見送ってから、ひとりで子浦漁港へ。釣りをしようと道具は持って来たのだが、まだ果たせなかったので港でアミエビの餌を買って、岸壁で小魚を釣って遊ぶ。30分ほどして、風が強くあまりに寒いのできりあげた。
まだ時間が早いので妻良をぬけて吉田海岸へ。伊豆というより津軽の海岸のような荒々しい風景だ。夕景を少し撮影してから、撮影の小道具に使えそうな流木をひろった。
今夜はMさん母子と、君島夫妻と一緒に夕食。南伊豆でのお正月も最後の夜だ。
3日間が楽しく、あっというまに過ぎた。
# by tatsuokotaki | 2005-01-06 22:33

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