小瀧達郎気紛れ日記


by tatsuokotaki

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パリ最後の日       2005年7月29日(金)

今日はいよいよパリ最後の一日。バスチーユ広場から撮影を開始する。バスチーユ広場の革命記念の塔“7月の円柱”のてっぺんの天使は、金箔が化粧直しされたとみえ朝日を浴びてギラギラと輝いている。
家具屋さんが並ぶサン・タントワーヌ通りを歩いてサン・ポールへ。せっかくなのでヨーロッパ写真美術館を駆け足でのぞいてから、ルイ・フィリップ通りで便箋など買物。観光客でいっぱいのノートル・ダム寺院を横目にサン・ルイ島へ。
サン・ルイ島の住人である木立さんの話では、数年前からサン・ルイ島は外国人(主にアメリカ人)による投機目的の不動産買収の嵐が吹き荒れていて、個人商店がどんどん姿を消していっているそうだ。アイスクリーム屋には相変らず観光客の行列が出来ているが、昔のサン・ルイ島ではなくなってしまったとか。確かに通りを歩くと、最近出来たらしい得体の知れない土産物屋がやたら目に付く。
セーヌに浮かぶ巨大船のようなサン・ルイ島の先端部分に、ヘミングウェイも昔訪れたという釣具店“デュポスの店”がある。1934年創業の、フランスではめずらしいフライ・フィシングの専門店だ。この店にはここでしか買えない、シルクで作られたフライ・フィッシングのラインがある。ひとつ130ユーロ(約1万8千円)とかなり高いのだが、店主曰く「きちんと手入れして使えば10年以上使えるさ。今どきのビニール製に較べたら安いモンだよ」とのこと。これは自分へのお土産として購入。
夕方、今日がパリ最終日なので木立さんの家で原稿の打ち合わせなどしてから、近くのカフェへ。シャンパンで暫しの別れをと思ったら、今日は全部売り切れとか。しかたがないのでビールで乾杯。明日でパリともお別れだ。写真を撮るならやはり夏の時期は避けてまた来たい。日本はまだ暑いだろうな~。
by tatsuokotaki | 2005-07-29 03:43

夏の光 ━パリの一日━  2005年7月28日(木)

10時起床。日本で抱えているトラブルのいやな夢で目が覚める。朝食の時間を過ぎてしまったのでシャワーを浴びて外出。
先日パサージュ・パノラマにある印刷屋さんに頼んでおいた、写真用のTimbre sec(写真のプリントに自分の名前を型押しする“打ち出し印”)を受け取りに行く。明日からバカンスだという店のお姉さんは、今日は真っ赤なドレスでおめかししている。
品物を受け取って、ギャルリー・ヴィヴィエンヌにあるサロン・ド・テで朝食。ギャルリー内にあるジャン=ポール・ゴルチエの店は以前よりだいぶ売り場面積が広くなったみたいだ。このあたりを徘徊していると、時々ゴルチエ氏に出くわしたりする。ぼくはだいぶ昔、ロンドンのチャリング・クロス駅の裏通りにあったゲイばかりが集まる(確か“Heaven”とかいう名前の)クラブで、ゴルチエ氏を紹介されたことがある。その時握手した彼の手がやけに柔らかく温かで、いまでもその不思議な感触が記憶に残っている。
そろそろ日本に帰る日が近づいてきたので、パレ・ロワイヤルの中庭に面した“Le Prince Jardiner”(ガーデニングのお店)でお土産をさがす。街でも着られそうな、カジュアルでお洒落な服や帽子がとても充実している。
今日は日本の夏のように蒸し暑く体調、気分共に良くない。メトロでバスチーユに出て裏通りを撮影していたら、またしても夕立のような雨。かなり激しく降ってきたのでカフェに逃げ込んで雨宿り。どうも天気が不安定で困ったもんだ。しばらくしても止みそうにないので、再びメトロに乗ってシャンゼリゼの銀行でT.Cを両替。雨がすっかり止んで、こんどは強烈な暑さだ。一日で目まぐるしく変わる天気に体がついていけない。ヴァージン・メガ・ストアで少し涼んでから、一度ホテルに戻った。
毎日相当な距離を歩いて撮影しているので、少し疲れが出てきたのかもしれない。1時間ほどホテルのベッドで眠った。
7時すぎ、再びカメラを持って外出。パサージュ・パノラマ~ヴェルドーを抜けオペラ座近くまで撮影。8時を廻っているというのに強烈な太陽が照り付けている。パリに夏の強い光はやはりしっくりこない。
日が暮れて涼しくなってから、パレ・ロワイヤルの中庭に面した“Restrant du Theatre”で夕食。フォアグラ入りインゲンとレタスのサラダ、カルチョッフィ入りリゾット、デザートはブラックベリーのソルべ、エスプレッソ・コーヒー。どれもとてもおいしかった。
今日は日中体調が悪かったが、おいしいものを食べて少し元気が出た。涼しくなった夜道を歩いてホテルに帰る。パリはいま街中が日本食レストランだらけ、といってもほとんどが中国人が経営しているまがいモノで、“スシハウス”の看板が“スンハウス”になっていたりする。日本人の板前さんが、あんなものが日本料理と思われては困ると嘆いているそうだ。
by tatsuokotaki | 2005-07-28 23:12

ベルサイユ宮殿の庭     2005年7月27日(水)

今日はサン・ミッシェルのカフェ・デパールで木立さんと待ち合わせして、一緒にベルサイユに行った。ぼくは20年以上フランスに通っているのに、お恥ずかしいことにまだ一度もベルサイユ宮殿に行ったことがなく、アジェのセピア色した写真のベルサイユしか知らない。
サン・ミッシェルからRERに乗ろうとして地下に下りたら、ホームへの階段が塞がれていて「工事中のためアンバリッド始発」と貼り紙がしてある。連絡バスもあるらしいが、時間がもったいないので地上に出てタクシーでアンバリッド駅へ。
まったくフランスという国は、何事も思うように運ばない。そのうえベルサイユ行きの列車が、牛歩のごとくノロノロ運転ときている。それでもアンバリッド駅から30分弱でベルサイユに到着。世界文化遺産の観光地だけあって、さすがに人が多い。人の流れにまかせて15分程歩くとベルサイユの正門に到着。観光バスがたくさん停まっている。
観光客の大半は宮殿内に吸い込まれていくが、今日のぼく達が目指すのは、改修なった庭園の方。中に入ってまず、その広大な敷地にびっくり。遙か彼方の境界線すら見えない。宮殿前の花壇には、色とりどりの花が満開だ。でもその花の配色パターンが、庭中すべて一緒というのにもちょっと驚いた。イギリスの庭を見慣れているぼくには、色の組み合わせのセンスがいまひとつと思えたが、それよりこれだけ広大な花壇をうめつくすのに、どれほどの数の花苗がいるのか、そちらの方が気になった。
完全に左右対称に形成されたフランス式庭園は、「自然をも我が意のままにねじ伏せてやろう」的な権力意識が垣間見えて、無意味なほど広いの敷地も含め人間の限りない欲望の深さに想いを馳せてしまった。
今日もひと時激しい驟雨があったが、午後は陽が差してとても暑い一日だった。それでも閉園の8時近くになると人も疎らになって、涼しい風と共に庭園も別の表情を見せてくれた。
帰り際、わずかに薄れゆく太陽光線で眺めたオランジェリー庭園は、とても素晴らしかった。
by tatsuokotaki | 2005-07-27 00:55

今日もパサージュの撮影  2005年7月26日(火)

朝一番でサン・ジェルマンのドラゴン通りにあるarshe(レ・アールにもある、ぼくの大好きな靴屋さん)へ。ちょうどセールの最中で、秋の新作も含めぼくと娘の靴を2足づつ購入。ブラッスリー・リップでカフェ・オ・レを飲んでひと休みしてから、メトロでサン・ポールの“hotel du sully”の書籍売場へ。ロベール・ドアノーの写真集『PASSAGES』を捜しに行くが、だいぶ前に出た本なので在庫は無かった。サン・ポールのカフェで“百姓サラダ”で昼食。
靴を4足も持ち歩いているので一度ホテルにもどって、午後はパサージュの撮影に。
パサージュ・プラドから始めて、パリにいることを忘れそうなインド人街パサージュ・ブラディ、先日撮影出来なかったサン・ドニ通りのパサージュ・ポンソー、浅草橋のように生地問屋、モード関係の店ばかりが並ぶパサージュ・ケール(カイロ)。ここは1798年に建てられ、現存のパサージュの中では最古のものとか。ナポレオンがエジプトから凱旋した後、造られたそうだ。
今日最後の撮影地、パサージュ・グラン・セールからサン・ドニ通りに出たところで、また雨が降り出した。すごく疲れてしまったので、フォーラム・レ・アールの映画館(『血と骨』を上映中)に途中から入って熟睡。
映画はぜんぜん観なかった。ベトナム料理屋で生春巻きとエビ焼きそばを食べてホテルに帰る。疲れた…。
by tatsuokotaki | 2005-07-26 01:20

サマリテーヌが閉鎖     2005年7月24日(日)

9時起床。窓の外は雨。昨夜、風邪をひいたかなと思ったが、どうやら大丈夫そうだ。テレビをつけたら、日本で大きな地震があったとニュースが報じている。渋谷の街の混乱が長々と映し出されているが、東京に大きな被害はなさそうだ。フランスでも日本の地震は、かなりの関心事になっているようだ。ホテルでゆっくり朝食をとって外に出たら、雨はほとんど止んでいた。 
今日は荷物を軽くして、再びパリを撮影。
歩調をきめて、なるべく疲れないようにゆっくりと歩く。歩く速度で街の見え方もまた違ってくるから不思議だ。ホテルからモンマルトル通りをひたすら南下して、レ・アールからセーヌの右岸へ。老舗デパート、サマリテーヌの屋上からパリの街並みを撮影するつもりだったが、辿り着いたら何とサマリテーヌが閉鎖されていた。6月15日に閉店したというが、建物が老朽化して消防法に触れる等々、様々な噂が飛びかっているらしい。
現在の所有者はLVMHグループ(日本人が大好きな鞄屋さんです)で、6年間改修のため閉鎖するそうだ。売り上げの40%を日本人が占めるというLVの現在のオーナー、フランスでは何かにつけあまり評判が良くないようだ。百貨店をやめて、高級ホテルに改装するなどという話もあるらしい。この建物の内部の、アール・ヌーボー様式の吹き抜けはとても見事なものです。
ポン・ヌフを渡って(こちらも部分的に修復中)リュクサンブール公園まで、ホテルから約2時間歩いた。ちょうどお昼の時間になったので、公園の前のブラッスリーで昼食。
ルッコラ、生ハム、モッツァレラ・チーズ、ドライ・フルーツ入りのサラダと、パンに何かの種(何だか正体が分からなかったが)をペーストにしてぬったもの、お酒はお医者さんにとめられているので飲み物はペリエ。食後にエスプレッソ・コーヒー。
食事をすませてリュクサンブール公園に入ったらまた雨がパラつき始める。今回のパリは天気が不安定で、一日のうち必ず一度は雨が落ちてくる。公園を横切って、洒落た店が並ぶババン通りをぬけ、モンパルナス墓地へ。ここは、あまり大っぴらに写真を撮っていると注意されるので、慎ましく墓地をひとまわりして撮影。
天気が悪く、光も良くないので今日の撮影はここで打ち切ることにする。メトロでレ・アールに戻って、フォーラム・レ・アールでウインドゥ・ショッピングでもと思ったのだが、スターバックス・コーヒーとマクドナルドを除いて、店が全部閉まっている。以前は日曜も開いていたのに。しかたがないので再び地上に出て、モントルグイユ通りを散歩する。
レ・アールが昔パリの中央市場だった名残で、この通りには老舗の食料品店がたくさん並んでいて楽しい。カフェに入ってコーヒーを飲みながらツール・ド・フランスのテレビ中継を観ていたら、日本のTさんから携帯に電話が入る。出かける前に脳の検査等で大騒ぎしてしまったので、心配して電話してくれたようだ。
カフェで休んで、Tさんとしばらくおしゃべりしたらまた元気が出たので、もうひと歩きすることに。
雨もどうやら止んだようだ。
サン・ドニ門を潜って、サン・ドニ通りを再び南へ下る。ここは昔から有名な売春街で、昼間から通りの両側に、胸もあらわなオネーさん達(日本のK姉妹を思い描いていただくと、かなりそれに近い)が立っている。でもどうしたことか以前より人数が少なく、ほとんどが年増のおばさんばかり。昔は若くてすごく可愛い子が、真冬だというのにほとんど裸に近いような格好で立っていた。木立さんに聞いたら、いまはブローニュやバンセーヌの森に本拠地が移っているとか。ブローニュは昔は確かホモの巣だったような記憶があるが、今は何でもありみたいだ。ホモ同志の殺人事件があったそうで、夜は物騒だそうだ。
サンドニ通りに面して、パサージュ・ブラディ、ケール、グラン・セールがあるが、今日は日曜日なので入り口の鉄扉が閉まっていて撮影は出来ず。
 夕方、再びレ・アールに戻って中華料理屋さんで食事して、八百屋でメロンを買ってホテルへ帰る。今日は良く歩いた。荷物を軽くしたのは大正解だった。
by tatsuokotaki | 2005-07-24 02:39

パリとの対峙         2005年7月23日(土)

8時起床。今日からパリの街の撮影だ。今回のパリでの撮影テーマはいくつか決めてきたが、正味7日間しかないので、果たしてどうなることやら。
まずは歩いてホテルに程近いパサージュ・ジュフロアへ。パサージュとは、日本でいうところの屋根付き商店街で、18世紀末から19世紀半ばにかけてパリに70余りが建設された(現存は20ほど)。その多くは、ぼくが今回宿泊しているグラン・ブールバール周辺に存在する。パサージュ・ジュフロアには有名な“グレヴァン蝋人形館”などもあって、浅草仲見世通りのような活気と猥雑さがある。ところが朝早いせいかバカンス期のせいか、ほとんどの店が閉まっている。そのままヴェルドー~パノラマ~ショワズール~ギャルリー・ヴィヴィエンヌと廻ったがどこも同じようなもの。
初日から出鼻を挫かれ気分的には多少メゲるが、しかたがない。現場主義は写真の宿命だが、現場に行ったからといって、必ずしも写真がモノになるとは限らないからツライ。その点文章は多少の創作、あるいは捏造(文筆業の方ゴメンナサイ)ができるので羨ましく思うこともある。
しかたがないので予定を変更してもうひとつの撮影テーマである「パリの擬木」(コンクリートで作った樹木)を求めてメトロで左岸にある植物園へ。
新宿御苑に明治38年フランス製の日本で最初の擬木の橋がある(御苑を訪れるほとんどの人は気付かずに通り過ぎてしまうが)。100年前に出来たこの橋は、西洋の造園技術を学ぶためフランスを訪れた、宮内庁内苑局庭園設計技師市川之雄が現地で購入。3人のフランス人技師を呼んで造らせたもの。日本で擬木の資料を探したが全く見つからないので、一体何処が発祥やら分からないのだが、明治時代にフランスに存在したのは確かなので、パリで探してみようという訳だ。7日間の猶予では雲をつかむような話かもしれないが…。
植物園に併設された動物園の中で、幸いにも本物の樹木と見紛うばかりに大きな擬木をひとつだけ見つけ、撮影することが出来た。
撮影が思うようにいかないせいか、カメラバックがやけに重く感じる。体調が良くないので早めにホテルに帰ることに。悪寒がするので風邪をひいたのかもしれない。ホテルの部屋で薬を飲んで、早めにベッドに入る。
今日は気持ちばかりが先行して、撮影が思うようにいかなかった。街を撮影するのは予めセッティングされた仕事と違って、別の意味の集中力と緊張感が必要となる。明日は機材を少し軽くして、気持ちをもっとリラックスさせよう。
by tatsuokotaki | 2005-07-23 22:11

多国籍ツアー最終日      2005年7月22日(金)

パリはとバスツアーもいよいよ最終日。今日は木立さんに急用が出来てしまったのでぼくだけが参加することに。バスでバスティーユ広場まで行って、アルスナル港からサン・マルタン運河を船でクルージング。地下を流れていた運河はバスティーユで地上に出て、鉄で出来た優雅なめがね橋の下をくぐって終点のヴィレットの船溜りへ至る。
セーヌとヴィレットは26mも水位差があるので、途中9つある水門で水位を調節しながら船はのんびりと進んで行く。マルセル・カルネの映画で有名な『北ホテル』を過ぎたあたりで、水門にトラブルが生じたらしく、30分ほど船内で足止めされた。どうやら水中で鎖が絡まって、水門が開かなかったようだ。
『HOTEL DU NORD』は『天井桟敷の人々』などでも知られるマルセル・カルネ1938年の作品。映画はスタジオのセットで撮られた様だが、原作の舞台となった北ホテルは前面だけ当時を再現しているが、現在はカフェ・ブラッスリーになっている。
運河廻りも無事終了。再びバスでパリ市内のマルシェ・サン・トノレへ。水門で待たされたこともあってお腹がペコペコだ。
りカルド・ボフィール設計の全面ガラス張りの建物を眺めながら、本ツアー最後の昼食。メニューはゴート・チーズとキューカンバーの前菜。メインはフォアグラ、がちょうのリエット、スモークしたがちょうのフィレ、鴨の骨付きの盛り合わせ。ぼくにはややヘビーだった。デザートは3種のアイスクリームにエスプレッソ・コーヒー。
3日間のツアーはここで終了で自由解散に。お疲れ様でした。それぞれが各国の参加者に別れを告げ、ぼくはバスでホテルまで送ってもらった。。
ホテルで撮影したフィルムを整理してから、まだ時間が早いのでメトロでレ・アールへ行く。大好きな靴屋“Arshe”をのぞいてから数軒先の“Plaques et Pots”へ。ここは昔から変わらぬ店構えのホーロー製品の店。パリの街の地番やメトロの駅名表示板、立ち入り禁止、駐車禁止などの大きなものからドアに付けるトイレの表示まで、ホーローで焼き付けたシャレたプレートが見つかる。10年以上前に買ったホーローの温度計をもう一つ買おうと思って行ったのだがもう作ってないという。残念!インテリアに使えそうな可愛いプレートをいくつか買って、優しそうな老夫婦に別れを告げ店を出た。
久しぶりにポンピドゥ・センターの広場に行ってみたが大道芸人は一人もいなかった。メトロでサン・ジェルマンに出て“PAUL”でチーズ・オムレツとバゲットで軽い夕食。お昼に食べた鴨がまだ尾を引いている。
さあ明日からパリを撮るぞー!
by tatsuokotaki | 2005-07-22 23:38

ローラン・ギャロスとオトゥイユ温室庭園  2005年7月21日(木)

8時起床、ホテルで朝食を済ませ今日もバスツアーへ。ブローニュの森を抜け、テニス好きの聖地(なのかな?)ローラン・ギャロスへ。テニス博物館と伊達公子さんも活躍したというテニスコートを見学。ぼくはテニス(というか運動そのもの)に全く興味がないので、ガイドさんには申訳なかったが解説はほとんど上の空で、ブローニュの森から吹いてくる爽やかな風と真っ青に澄んだ空を満喫させてもらった。
実は中学生の時、興味半分でテニスクラブに入ったことがあるのだが、球がまったく思う方向に飛んでくれないので一日でやめた経験がある。
ローラン・ギャロス内のレストランで昼食の後は、隣接するオトゥイユ温室庭園へ。イギリスのキュー・ガーデンなどに較べるとはるかに規模は小さいが、建物はアール・デコ様式でなかなか趣がある。パリの中心部は建物はもとより、街全体が石で囲まれているので、緑の中に身をおくとやはりホッとする。今日は天気も良く、午後になって急に温度があがって日本の夏のような暑さ。
夕方、といっても夏のパリの太陽はまだまだ天空高くにあるのだが、セーヌ河畔の「パリ・プラージュ」へ移動。何のことかと思いきや、セーヌ河畔の自動車道路を閉鎖して、巨額の資金を投じて日本でいうところの歩行者天国をセーヌ河畔で行っている。パラソルを立てた模擬店なども出ているのだが、橋の上から見ただけでつまらなそうなのでパスすることに。バカンスに行けないパリジャンのためにせめて“セーヌ河畔を開放して日光浴を”等々、数多のうたい文句はあるようだが観光客を含め評判はイマイチのようだ。7時半にホテル集合とのことなので、木立さんとサンルイ島のカフェでのんびりとお茶を飲んで過ごす。
夕食はツアー・メンバー全員でシャンゼリゼのレストラン“ル・ノートル”へ。シャンゼりゼは開催中のツール・ド・フランスのゴールの為の客席作りの真っ最中だった。
“ル・ノートル”の庭に面したテーブルで、ぼくのうしろの席の不思議な3人組(男2人と女1人)の奇妙キテレツな行動を木立さんと横目で眺めながら食事する。この3人組、並んで座った男女は明らかに恋人同士なのだが、向かいに座った男性の前で食事しながら異常なほどの大胆さでイチャついている。男性一人の方は背を向けていたので残念ながら表情が見えなかったが、当然のごとく周囲は異様な雰囲気に包まれていた。この3人、目一杯正装しているのだが、この上なく田舎くさいのでよけいに人目をひいた。あまりに激しいイチャつきようにぼくも木立さんも呆気に取られ、ある種の変態では?との結論に達した。陽が落ちたせいか、あたりは寒いくらい涼しくなった。
by tatsuokotaki | 2005-07-21 23:41

パリ到着            2005年7月20日(水)

フランス時間午前4時15分、シャルル・ドゴール空港着。こんな朝早くパリに着いたのは始めてだ。機内でよく寝たし、ぼくは普段でも明け方まで起きているのでそれほど苦にはならない。道路はガラガラだし、パリ市内まで渋滞もなく、タクシーでグラン・ブールバールのホテルに実にスムースにチェック・インすることが出来た。
今回の仕事はパリ市観光会議局による「多国籍プレス・ツアー」と称し、各国からジャーナリストを集め、2泊3日のいってみれば“パリはとバスツアー”をしようというもの。
参加国はイギリス、ドイツ、スイス、ベルギー、ロシア、インド、タイ、スペインそして日本からはぼくとパリ在住のジャーナリスト木立玲子さんが参加する。木立さんは古い友人だが、以前は国営ラジオ・フランスで仕事をしていて、ぼくがパリ在住の日本人の中でいちばん信頼しているジャーナリストだ。現在はフリーで毎日新聞日曜版に『欧州的成熟ライフ』と題するエッセイなどを連載中だ。
今回のツアーの訪問先は主催者任せなので、仕事そのものは実に気楽なもの。ぼくはこの仕事の後、一週間ほど残って久しぶりにパリの街の撮影をするつもりだ。午後の集合時間までだいぶ時間があるので一眠りすることに。
1時過ぎ、ホテルにやって来た木立さんと近くのブラッスリーで昼食。一年ぶりの再会だ。パリはとても涼しくて高原にいるような爽やかさ。
3時にホテルのロビーに各国の参加者が集合していよいよバスツアーの始まり。今日はパリ郊外のシュレーヌにあるワイナリーの見学。小高い丘の上の葡萄畑からは遠くエッフェル塔やパリの街並みが見渡せる。モンマルトルの“ラパン・アジル”の前にも小さな葡萄畑があるが、パリからこんなに近い場所でワインが獲れるというところが主催者のいわんとするところらしい。まだ5~60年のワイナリーで生産量も限られているので、地元のスーパー・マーケットに卸すのが精一杯だとか。一本8ユーロというからまあごく大衆的地酒といったところでしょうか。
ワイナリー見学の後は、パリ市内にもどって、再開発された”ベルシー・ヴィレッジ”(もとは各地のワインの集積所、及び貯蔵庫)でフランス各地のワインを試飲しながら夕食。
早朝から夜まで実に長~い一日だった。
by tatsuokotaki | 2005-07-20 23:09

あわただしいパリ出発       2005年7月19日(火)

一昨日の夜、両手に軽い痺れが出た。気になったので金沢の整体の先生に電話したら、すぐに検査するようにとのこと。19日からパリに行く旨告げると「脳からきてると怖いよ、体と仕事どっちが大事なんや」とおどかされる。
といっても運悪く明日は祭日。明後日の飛行機が夜の便なので検査をするにしても出発当日の日中しかない。たまたま先日親しい知人Kさんが脳の出血で、MRIの検査後即手術して大事にいたらなかった。Kさんの話では都内のMRI検査は予約制で当日行ってすぐ検査というのは難しいかもしれないとのこと。困り果てて水戸の友人T先生に電話した。
翌朝T先生から早速電話をいただいて、水戸の先の常陸太田にある友人の脳神経科で朝一番に検査してくれるとのこと。常陸太田にはぼくの姉が嫁いでいるので何度も行ったことがある。
MRIの検査は一時間ほどで終わって、幸いにも脳には異常はみられないとのこと。帰国してから再度頚椎のCTをとりましょうということで一安心。
せっかくなので姉のところにちょっと顔を出して、東京にとんぼがえり。青山にあるエール・フランス本社へ。
うっかりしていてカメラ機材等の重量オーバーのエクセス許可をとり忘れていたので、別チケットを出してもらった。
何とも慌しい一日だったが、どうやら成田発21:55のAF277便に飛び乗って一路パリへ。夜の便なのに結構混んでいたが、3席分もらったので横になってパリまでぐっすり寝た。
by tatsuokotaki | 2005-07-20 15:15

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